※全部読むのがだるい人は、太字のところだけ読んでください。
また、よろしければ、同じ熊本県内の
菊池飛行場での取り組みと保存活動をされている
倉沢氏についての記事もご覧ください。
はじめに
この記事では、各自治体における「町興し」という文脈での「戦争遺跡」の保存活用の取り組みについて、熊本県球磨郡錦町を例として挙げながら述べていきたい。予め断っておけば、私は錦町の戦跡活用の取り組み全体を非難し、論うつもりはない。あくまで、錦町の優れた取り組みの中で少しばかり違和感を抱いた点について考えてみたい。私自身、錦町の方々に案内を請うて遺構の見学をさせて頂き、取り組みについての様々な工夫や苦労をお聞きしてきた。その限りで言えば、錦町で行われている学術的調査についてはもちろん、住民の自発的な参画や行政のサポートなどは極めて優れたものであり、大いに評価に値すると思う。
つまり、錦町の戦跡整備事業の9割方について私は肯定的に評価しているわけで、「町興し」単体としてみれば、どうみても大成功の部類と言えるだろう。私は戦争遺跡による町興しを否定するわけではないし、歴史を学ぶ場として観光地化することは必要だと考えている。ただそこには単なる町興し以上の慎重さを要するということが言いたいのである。(錦町での画期的な取り組みについては
コチラの記事(人吉海軍航空基地)を参照して頂きたい。)ここでは、あくまでもその問題点のみを抽出し、建設的な批判に徹しているということを申しておく。
錦町を選んだは、まず一つ目に、戦争遺跡のレジャーランド化に付随する問題が非常に典型的な形で顕在化しているということ。二つ目に、PRや宣伝、メディアによって得た錦町の取り組みと、実際の取り組みが非常に隔たっているということだ。これについては後で詳しく述べるが、一見するとPRキャラクターなどを用いたポップなプロモーションは、「ふざけている」とか「馬鹿にしている」という印象を与えかねない。とりわけ、慰霊や顕彰を念頭に置いている戦跡の紹介ともなれば尚更である。しかしながら、実際の現場では極めて真剣に調査活用が行われており、決してPRされているような軽々しいものではないのだ。私が一番危惧していることは、他の自治体がこの表面だけを真似て、以下で紹介するような浅薄な手法に基づく戦争遺跡の活用方法が蔓延してしまうことである。
この記事を読むときはあくまで客観的な報告、ないしは、ある町の戦争遺跡整備事業におけるレポートとして読んで頂ければよいかと思う。以下では、まず問題点は何かということを述べていくが、その上で、読者ご自身で改めて錦町での取り組みの是非について考えてもらいたい。
1. 戦争遺跡を保存活用する意味――携わる人間の姿勢
現在、錦町において、かつての人吉海軍航空基地を利用した町おこしが行われている。ここには戦時中、予科練の訓練場となった飛行場が存在していたが、町興しと同時進行する形で(もしくは町興しの一環として)戦争遺跡の発掘調査と資料館の整備が行われている。戦争遺跡で町興しするのが悪いという訳ではないが、その際、錦町は「クマリン」というキャラクターを用いてPR活動をしている。たしかに、町おこしのためであれば、昨今流行の「ひこにゃん」や「くまもん」など、キャラクターを利用した広報活動は理にかなっているのかもしれない。しかしながらそれが「戦争遺跡」、「平和学習」、「歴史の継承」などと結びつくとき、そこには問題が生じてしまうことになる。
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▽門柱の隣にある「クマリン」の幟
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人を集めて金を落としてもらうというのは、人口の激減する地方自治体にとっては急務であるかもしれないし、もし地元に今話題の「戦争遺跡」などがあれば、それを有効に活用していきたいというのも良く分かる。しかしながら、事は非常な慎重を要するのである。というのも
「戦争遺跡(太平洋(大東亜)戦争に関する遺跡)」というのは、単なる観光名所ではなく、先の大戦における戦没者を初めとする、多くの戦争体験者、戦没者にとっての謂わば「墓標」であり「記念碑」的な意味を有するからである。
例えば、錦町にもある「
留魂碑」について考えてみたい。あまり聞きなれない「留魂」という言葉、これは吉田松陰の『留魂録』冒頭の「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」をはじめとして、西郷南洲の漢詩「獄中有感」の「生死何疑天附與(生死何ぞ疑わん天の賦與なるを) 願留魂魄護皇城(願わくは魂魄を留めて皇城を護らん)」にもあるように、自身の死後肉体が消滅しても、魂をその地に永久に留めんという意味である。日本国内外にある留魂碑とは、その地に縁のある者が戦死した戦友の追悼や顕彰もしくは自分達の敢闘精神の伝承の為に建立したものであり、「留魂」とは文字通り
「魂を死後もその地に留め、郁々までその地を守護せん」という意味があるのだ。改めて錦町にある人吉空の碑文を見てみよう。
人吉空予科練 留魂碑 碑文
大東亜戦争の劈頭ハワイ・マレー沖海戦に航空主兵時代の到来を実証した。帝國海軍は弥々航空兵力の増強充実に力め国内各地に続々練習航空隊が開設せられた 人吉海軍航空隊は其の一つ 昭和十九年二月 球磨郡木上村川辺 球磨の清流に裾を洗わはるる高ン原の大地に開隊 第十八連合航空隊に属し 全国の猛烈なる志願者より選抜採用された飛行予科練習生に整備教育を施し 二十年七月解隊迄に凡そ六千の航空要員を実施部隊に送り出した。顧れば此の一年半の当隊の活動は戦時の速成教育から九州各基地への防衛協力 戦備強化作業の推進更に教育中止後は佐世保鎮守府麾下第二十二連合航空隊に編入せられて 九州各地区の防備に任ずる等時の戦局の推移をそのままに反映したものであり 其の執れにも目覚しい成果を挙げたが 終戦と共に其の施設は今僅かに遺る滑走路の他は跡形もなく消え去った。隊員の当時の真剣な意気込は青春の総てであり 山紫水明の風土 純朴なる人情と共に今も忘れ得ざる所 戦後転じて祖国復興の担ひ手となり苦難の道を歩いて二十六年 今繁栄日本を見る往年ここに学びし予科練有志 人吉会を結成し相謀って此の地に記念碑を建つ 曾て此処に培われし敢闘精神を平和の戦士として倍々祖国の進展に活かさんことを期して也
昭和四十六年八月 元人吉海軍航空隊司令 田中千春撰
彼らの無念さや後世の平和を願う強い意志が伝わってはこないだろうか。戦争が終わり、兵士たちがこの土地を去った後も、その魂はここに留まり続け、今後の行く末を見守っているのだ。「戦争遺跡」がこのように特別な意味を持つ歴史遺産であるということを鑑みた場合、後世これについて調査し、且つ深く考えた者であれば、必然的にそれに関わる遺跡や先人(もしくはモノに対してさえも)「
敬意」を抱くはずである。そのように
敬意をもって曾ての悲劇を伝えようとする場合、それは必然的に慰霊や顕彰を念頭に置いた方法という形態をとるだろう。古来より日本人は、疫病や災害、戦などで死者が出ると、祠やお宮を建ててその霊を鎮めようとしてきた。これは例えば、広島の原爆資料館や鹿児島の知覧特攻平和会館を思い浮かべてもらえばよいかと思う。
これらの施設は、資料館であると同時に、死者を慰霊顕彰する霊廟でもあるのだ。しかしながらこれが町興しという目的に沿って戦跡の整備が行われる場合、如何なる問題が生じてくるのか。
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錦町による取り組みの数々
▽「クマリン」によるインターネット上でのPR活動
▽「人吉球磨秘密基地ミュージアム」建設予定地
来年平成30年度に開館予定。
▽資料館のウェブサイト
キャラ紹介(!?)
クマリンについて:http://www.nishiki-machi.com/docs/2016092700016/
人吉海軍航空基地跡:http://hito-kichi.club
【動画編】人吉球磨は秘密基地 ~人吉海軍航空隊基地跡のご紹介~
http://www.nishiki-machi.com/docs/2015100500013/
人吉球磨は秘密基地 ~人吉海軍航空隊基地跡のご紹介~マンガ編
http://www.nishiki-machi.com/docs/2015081700013/
▽公式漫画の一部(抜粋)
以上は全て公式サイトに掲載されているものである。まずは錦町のWEB上での取り組みに一通り目を通して頂きたい。これらは全て民間の方が作られたようで、それを行政側が公開している。いわば準公式という扱いのものだ。
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2. 球磨郡錦町での取り組み――何が問題なのか
さて、錦町の取り組みについて考えていきたい。今回、錦町役場の方々には、お忙しい中、お話をして頂いたり、車で現地を案内して頂いた。活動全体においても、住民が主体となって活動しているという点も非常に素晴らしいと感じた。また、学芸員の方が関与しているというだけあり、学術的にも大変充実した調査内容で、見学のための道も整備されていて極めて計画的に「戦争遺跡」を活用していこうという気概が感じられ、非常に感銘をうけたところもある。また、全国にあまり前例のないフィールドワーク中心型の資料館を目指している、ということも興味深いと思った。
このような画期的な運用が楽しみであり、またその苦労が偲ばれるだけに、このようなキャラクターを利用した展示や広報活動が、展示内容に対してキッチュな不統一感というか、ある種の歪な印象を与えており、また非常に残念でもあるのだ。もちろん、町興しとして見た場合こういう手法はありなのだろうが、戦争遺跡の保存活用に伴う「平和」「慰霊」「顕彰」「戦争」というキーワードとこれが結びつく時、あまりにも悪ノリが過ぎるというか、思慮に欠けるという印象を受ける。もっと言えば、戦没者遺族や戦争体験者に対する配慮や慎重さが欠けているのではないか、という印象も与えかねない。更に、戦争という事態に本来伴う筈の陰鬱で凄惨な雰囲気が、誤解されて伝えられていくことにもなりかねない。
問題とはつまり、町興しに付随する客寄せや金儲けの俗っぽい手法が戦争遺跡の保存活用方法と決定的に相反するという点である。町興しの場合は、気軽に楽しく盛り上げるということが主眼となるのに対して、戦争遺跡の保存活用においては、厳粛な態度で慰霊や研究に臨む必要があるからだ。それは決して楽しく愉快なものではない。この場合特に、漫画のキャラクターと平和、慰霊、顕彰というものが同居しているというおぞましさや歪さが違和感に繋がっている。このようなキャラクターを用いたPRは
戦争遺跡のテーマパーク化にも繋がりかねないし、現にそうなりつつあるわけで、何でもいいから人を呼べばいいということではダメだろう。漫画にしても、分かりやすければ何でもよいという訳ではない。モノがモノであるだけに、最低限の節度をもって取り組まねばならない。果たしてこのような展示の仕方で「平和教育」や「戦没者の慰霊」を正しく行えるのか。言葉が形骸化してはいないだろうか。展示内容が充実していても、これでは実施している人間の取り組む姿勢に対して疑問を抱いてしまうということにもなりかねない。
何度も言うが、確かに「町興し」という点から見れば、行政と住民の混然一体となった広報活動は大成功であり、地域活性化に一躍買ったと言えるだろう。しかし、「戦争遺跡」の維持活用という点からみた場合、極めて問題があるという他ない。結局、この二つの要素は単純に一緒にしてはならないのである。一体、誰のために保存し展示するのか、そしてどのように活用していくのかをもう一度御再考願いたいところである。
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▽相良護国神社北側の留魂碑
▽公式パンフレット
この装幀は、うーん、仲間内で読まれるものやアングラなものならよいのですが、これは公式パンフレットとして不特定多数の目に触れるものであるという点も考慮すべきでは。このキャラクターはどうしても必要なのでしょうか。内容が優れているだけに、非常にもったいない。
それに、背景に張られた特攻隊員の遺書の扱いも問題だ。特攻隊員の遺書の上に漫画のキャラクターを載せるのはいいのか。本当に敬意を払っているのか。
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大刀洗平和記念館や知覧特攻平和祈念館の資料館を見学した後に、こちらのPRパンフレットやウェブサイトに接すると、どうしてもこのような違和感を抱かずにはいられない。これは上でも述べたように、町興しということにあまりに重点を置き過ぎている(あるいはそう見える)が故の違和感であると思う。外部から来る人間は、現場での苦労など知る由もなく、町の発行しているパンフレットや公開しているウェブサイトからしか情報を得ることができないだけに、余計な誤解を生じる恐れのあるPR方法は考え物だ。もちろん、
新しい取り組みに際するトライアンドエラーの最中であるとはいえ、特にPR活動にはもう少し慎重に取り組んでいただければと思う。現場の人々が、少ない人数で大変な苦労をされながらも、非常に真剣に取り組んでおられるだけに、広告の段階で生じるこのような誤解が心配だ。
来年オープンの資料館にしても、知覧や広島、沖縄など、全国の平和資料館が有しているような最低限の基盤は共有しつつも、如何に独自性をだせるかというのが問題だと思う。いずれの施設にしても、一番の目的は「悲惨な戦争を伝える」ことにある。これを抜きにしては平和資料館と称しても片手落ちである。これについては後にまた詳しく述べる。
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▽筑前町立大刀洗平和記念館
大刀洗平和記念館:http://tachiarai-heiwa.jp/
▽記念館のパンフレット
元隊員の講演会や企画展示、フィールドワークを開催している。理想的な取り組みの例である。
▽南さつま市万世特攻平和祈念館
▽パンフレット
慰霊や顕彰を主眼としながらも、当時の追体験ができるような効果的な展示になっている。
いずれの施設においても感じられるのは、死者に対する畏敬の念であり、相応しい丁寧な扱いである。ある種の霊廟のような雰囲気がある。
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人吉地域での取り組みについて、県内の「熊本の戦争遺跡研究会」という団体から意見が呈されている(熊本の戦争遺跡研究会「人吉海軍航空隊基地跡整備 平和の希求へ(上中下)」、『日刊人吉新聞』平成二十九年五月十七-十九日刊行分。URL: http://www.kumamoto-senseki.net/0-1/index.html)。この新聞記事の論旨を乱暴にまとめてしまえば、要は「もっと慎重に整備事業に取り組むべきではないか」ということである。やはりここでも町興しと戦争遺跡の保存活用事業が無作為にくっつけられている状況を憂えているのである。その点については私も概ね理解できるところであり、錦町の方々が熱心に取り組んでおられるだけに、また多くの人間の注目を集めているだけに、尚更軽々しい(とみなされるような)取り組みを自重していただきたいと切に願うものである。
3. レジャーランド化する戦争遺跡
以上のようなことは、「戦争遺跡」に対する関心の高まってきたここ数年来、特に懸念されていることであり、実際にこの懸念は同地を初めとして現実のものとなっている。日本の他の地域でも、果たしてこれらの史跡を保存したり活用するということの意味を理解しているのか、甚だ怪しい事例が見られる。とりわけ問題であるのは、昨今様々な自治体で誕生している「戦争遺跡マスコット」である。プロ野球チームでもあるまいし、一体何故マスコットなど必要なのか。戦争遺跡を利用した浅薄なる功利主義が顔をのぞかせている。
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▽加西市鶉野飛行場のマスコットキャラクター「ウズラノ少尉」
金儲けに利用され、テーマパーク化する戦争遺跡の惨状の一端を示している。そもそも戦争遺跡に「マスコットキャラクター」は必要なのか?そういう安易な広報活動はどうなのか。
資金繰りに苦労しているのは分かるが、こういった集客方法はどうなのか。
▽『永遠の0』で有名になった筑波海軍航空隊記念館のウェブサイトより。マスコットキャラクター「友部空くん」と漫画を用いたPR
筑波海軍航空隊記念館:http://www.p-ibaraki.com/tsukuba
これも「町興し」と「戦争遺跡」のキメラだ。ウェブサイトの内容には顔をしかめたくなるものもある。
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昨今、町興し以外にも戦争関連の催しやゲームなども大いに問題を孕んでいる。例を挙げれば、広島の平和記念公園でのイルミネーション、富士急ハイランドでの「瑞雲」模型の展示、軍艦慰霊碑でのピース撮影等、頭の痛くなるような事例が多数ある。話が散漫になるのであまり広げるつもりはないが、これは錦町の問題と同じ素地を共有しており、故にここで少しコメントしておきたい。
この様な軽率な行いに及ぶ輩に決定的に欠けているのは、戦死者や戦争体験者からの視点である。そこには生身の人間が関わっていたという現実感が欠如している。このようなことは少し考えれば分かることであるはずだが、彼らの間では全く顧みられていない。ここで元六四三空「瑞雲」搭乗員の予飛13期加藤昇氏(最終的な階級は中尉)の話を聞いてみたい。
▽海軍中尉時代の加藤氏
▽加藤昇氏(左)
[富士急ハイランドにて瑞雲の模型が展示されるという話を受け]…あ
あ、そうらしいですね。どういう団体がやってんのか知らんけども。
…あのー瑞雲が展示されるということですけど、遊園地というのはど
ういうことですか。[ため息]...せめてね、自衛隊の資料館とか博物館と
か、そういうところで展示してほしいですよね。…おもちゃじゃない
んだから。 (平成29年6月18日於京都霊山護国神社 講演録より抜粋)
これはほんの一例であるが、この苦言の背後にどれだけの声なき声があることか。ここでいちいち挙げるつもりはないが、
この記事を読んで頂いた方には、できればこのような「当事者」の言葉にしばし耳を傾けて、考えて頂ければと思う。私はこの「おもちゃじゃない」という言葉にグサリと胸を刺されたような衝撃を受けた。本当に私たち世代のあまりに軽率な行為の数々に申し訳ない気持ちでいっぱいである。我々戦争遺跡研究会のメンバーは特に、何百人という戦争(戦場)体験者の聞き取りを行い、その声があまりにも生々しく響く位置にいるため、戦争を茶化したような軽々しい扱い方に同意できないのである。
戦争はゲームや漫画のような楽しいものでもなければ、架空の話ではない「現実」の出来事であり、悲惨な体験をした方々が実際におられるということ、大勢の人間が無惨な死を遂げているということを忘れてはならない。戦場体験者の誰もが、上層部の人間による無策無能人命軽視の命令による無数の餓死者戦病死者と彼らの無念さについて語り、また銃後の戦争体験者も、一体どれだけの優秀な若者が無為に犬死させられたか、女や子供が如何に惨たらしく死なねばならなかったのかを語る、「これだけは伝えてほしい」と。この、戦争体験者の様々な思いを聞き取り、命令ひとつで死ぬことを強いられ、奴隷のように扱われた人々の声を届けることが平和学習に携わる者たちの使命だ。
無数の戦争体験者たちが「これだけは後世に」というこの「無念さ」「理不尽さ」「惨たらしさ」、これを理解せずに「平和教育」だのなんだのと言っても、ほとんど意味がない。「戦争の悲惨さ無念さなんてもうおなか一杯だわ」という意見もあるだろう。しかしそれは単に、「戦争の悲惨さ無念さ」という言葉が同語反復宜しく頻繁に使われ過ぎただけに過ぎない。むしろ改めてその内実について、「戦争の悲惨さと無念さ」とは何かについて思いめぐらす必要があり、それを理解するには多大な労力と時間(ともちろん金も)がかかるのである。大変なことではああるが、
彼らの過酷な体験を自分の問題としてよく考え、それを後世に正しく伝えること、そしてあのような愚かな戦争を二度とせぬこと、これがせめてもの敬意の表明ではないか。この無念さを軽視し、三百万余の犠牲を無為にしてよいのか。
彼ら亡き後、戦争遺跡や平和資料館がその任を負うことになる。それらの「モノ」が彼らの一番伝えたかったことを代弁せねばならない。つまり、戦跡は「無言の語り部」として戦争体験者の代わりに戦争を語る役割を担っているのだ。そうであるだけに、戦跡整備事業には大変な慎重さが必要なのだ。平和資料館が単なる展示場や見世物小屋になってしまわないことを願うばかりだ。
果たして水漬く屍草生す屍となって見知らぬ地の果てで斃れた方々が、今の世の有様を見たときどう思うだろう。現政権の無能無策ぶりをみた元特攻隊員は、「安心して死ねない」と言っている。今やネットの海には、理解に苦しむような情報が溢れており、また我々の先祖に唾を吐きかけるような行為が至る所で目につく。
近年、戦争遺跡に対する関心が高まる一方で、当事者である彼らがあまりにも蔑ろにされてはいないだろうか。既に戦争体験者が高齢となっている今、彼らの声がこれからますます聞こえなくなっていけば、「戦争遺跡」も単なる客寄せのためのテーマパークになってしまい、本来の意味を失っていくだろう。一部ではもう既にそうなっているが。
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▽富士急ハイランドにおいて見世物になる原寸大瑞雲の模型
▽ツイッター上にアップされた写真
運営者も参加者も、これがどういうものか理解しているのだろうか…恐らくガンダムやエヴァンゲリオンなんかと同じようなものだと考えているのだろう。模型とはいえ、そのモチーフとなったものは何なのか良く考えてほしい。
この他にも、軍艦の慰霊碑の前で人形を置いて写真を撮ったり、或いはふざけたポーズをとって記念撮影をしたものがネット上に多数公開されている。例えば「軍艦那珂忠魂碑」などは正視に耐えない惨状を呈している。これもアニメ漫画による観光地化による弊害だろう。死者に鞭打つような蛮行が蔓延っている。
▽大洗磯前神社の「軍艦那珂忠魂碑」に関するツイッター画像の一部
理解不能。以下もネット上に公開されているものだ。
あまりにも悪趣味でグロテスクな絵面に吐き気がする。彼らの行為の中に死者への敬意は感じられるだろうか。これは死者への冒涜ではないか。我々の世代の汚点だ。
そして、この記事を読んでいるあなたはこれをどう思うだろう。あなたに良心はあるか。
このように不遜で罰当たりな行為を目にすると、胃がキリキリと痛む。
一体、戦没者やその遺族が上のような愚かな光景を目にしたときにどう思うだろうか。しかし、この様な行為に及ぶ輩にそのような視点は一切存在しない。強いて言えば、「織田信長」や「坂本竜馬」を、漫画やゲームの中でおもちゃにするのと同じような感覚なのだろう。つまり、それらに対する現実感が失われた結果、先祖に対する敬意も失われ、単なる享楽のための記号と化しているのである。彼らが仲間内で絵を描いたりゲームをしたりすることをとやかく言うつもりはないが、最近の目に余る行為の数々は明らかに一線を超えており、最早無視できなくなっている。
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また、「近年若者の間で高まっている戦争遺跡への関心」という時の「関心」は、必ずしも良い意味ばかりではないだろう。宣伝や広告の際にも、単に「関心」を高めればよいというものではない。漫画等を用いて「親しんでもらう」のもよいが、「親しむ」という言葉についてもっと注意深く考えねばならないだろう。「皆に知ってもらう」「若者をとりこむ」という言葉を免罪符にして何でもやってよいわけではない。
若者に関心を持ってもらうという場合にも、そもそも若者が皆漫画やアニメに熱中しているわけでもないし、そういうPRにをして寄ってくる人たちはあくまで限られた層だけだというのを忘れていはいけない。宣伝の仕方如何で、相応の人間がやってくるということを、宣伝する側は念頭に置かなければならない。
むしろそのようなふざけたやり方に嫌悪感を催す者すらいる。「漫画のキャラクターを出せば若い人が来てくれる」というのは、
あまりにも短絡的で若者をバカにし過ぎではないか。結局、金儲けや客寄せを主目的とした、キャラクター商売を伴う戦争関連商売は碌なことにならないのだ。民間の方が個人でやる分にはよいが、行政がそれに乗っかってしまうと、やはり話が違ってくる。
ゲームを入り口にした戦跡の宣伝は、上記の軍艦那珂の人々のような、一部のおかしな連中を呼び込む可能性があるために反対である。戦争遺跡が関わってくる場合、とにかく「話題」になれば万事OKという訳ではない。知覧や広島など、このような手法に頼らず集客している自治体を参考にして、もっと慎重に考えてみてはどうだろう。
おわりに
これまで散々なことを書き連ねてきたが、冒頭でも述べたように、私は何も人吉地域での「戦争遺跡」の取り組みに水を差すつもりはなく、ましてや取り組み全てを否定するものでもない。ここではあくまで問題点のみを挙げたのであって、錦町での取り組みを全面的に否定するものではないことも再度断っておく。むしろ、僭越ながら提言をするつもりで、もっと言えばエールを送るつもりで、このようなことを申し述べているのである。
「戦争遺跡」の保存、活用という問題が昨今において急激に盛り上がってきただけに、多くの自治体において、そのノウハウがまだ蓄積されておらず、試行錯誤しながらやっている途上である以上、このような誤謬はある種仕方のないことかもしれない。もう一度言うが、私はあくまで「戦争」は繊細な問題であることを、改めて考えてもらいたいと思っているのである。
「太平洋(大東亜)戦争」に関わる事柄の背後には三百有余万の無念の死を遂げた者たち(或いはまた国外における更に多くの何千万という死者達)がいるということを忘れてはならない。戦争遺跡に関わり、戦争の記憶を後世に伝えていく使命を自覚しているのであればこれを軽々しく扱うべきではないし、とりわけ留魂の先祖に対しては、特別の「敬意」をもって接するべきである。当然敬意をもって接していると思うが、誤解を生むような扱い方はいけない。
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▽相良護国神社
▽「慰霊碑」と「クマリン」
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今の様に町興し的要素を前面に出しながらの観光地化を続行していては、当然ながらその反応として、「熊本の戦争遺跡研究会」から提示されたような意見が、全国各地から送られてくることになるだろう。人吉海軍航空基地を全国的に知ってもらいたい、来て実際に見てもらいたいというのであれば、遅かれ早かれ再検討せねばならない問題であると思うので、「パヨクの戯言」などとレッテルを張って一蹴せずに、出来ればよく考え、早めに対応する方が良いのではないだろうか。何故そのような指摘がくるのか、という原因を考えないと、同じような指摘が何度も繰り返されることになる。またその際、後顧の憂いを残さぬように、地元の有志らと意見交換会を催すなどして、じっくりと話し合ったうえで今後の対応について考えてみてはどうだろうか。それに、「戦争の日常」を伝えることは必要だが、平和学習や平和教育というのであれば、上でも述べたように戦争の陰惨さ抜きに平和教育は成立しない。またもし仮に全国展開を目指すのであれば、「俺たちが楽しくやってんのに余所からごちゃごちゃぬかすな!」という態度ではダメだろう。有名になれば何でもいいという訳ではない。英語でPRなどする前に検討すべきことがもっとあるのではないだろうか。既にやっているかどうか知らないが、まずやらねばならないのは、毎年恒例の人吉海軍航空隊の慰霊祭を町が後援し、住民の参加を促すことである。そして戦友会や遺族会と連携をとりながら、色々なことに取り掛かるべきだろう。戦跡は発見者や研究者だけのものではない。当事者抜きには考えられない。
また、少人数でやっておられるだけに、外からの色々な「声」にも耳を傾けるということも必要ではないだろうか。どうしても風通しが悪くなると、気付かない部分で色々な「粗」が出てくる。また、協力的な地元の方の支援をする(あるいは受け入れる)場合は、無条件でそれらを流用することは避け、きちんと精査せねばならない。民間と行政が混然一体となって協力することは素晴らしいが、行政が民間に取り込まれてしまってはいけない。色々な点で、行政がきちんと線引きをすべきだろう。いずれにせよ、色々な柵があり、また大変な苦労があるということは御拝察するが、もっと今以上に慎重になっていただければと思う。
キリがないないので、この辺で老害ならぬ若害の戯言は終わりたいと思うが、私が何故このような記事を書いたのかというと、繰り返しになるが、本来戦争遺跡に携わる者たちが共有しているはずの大前提がここではすっぽりと抜け落ちているように思われて、それについて危機感を覚えたからに他ならない。戦跡や平和学習に関わっておられる方なら、何を今さらと言われるようなことである。
また最後に付け加えておけば、
戦争遺跡の価値を理解せず、無下に破壊したり撤去したりするような余所の自治体がほとんどである昨今、錦町の人々は遥かに意識的に、しかも住民が主体となって、自治体と協力しながら「戦争遺跡」の問題に取り組んでいる。私が実地にて見聞した限りでは、その学術的な成果は特筆すべきものである。これについては当然称賛されるべきであることは言うまでもない。
来年オープン予定の「人吉球磨秘密基地ミュージアム」も、どのような資料館になるか非常に楽しみである。
平成二十九年八月二日
ご意見ご感想ご質問お待ちしております。
コメント欄か yukio0118(あっと)gmail.com までお願いします。
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2017/10/22
この記事が書かれてから、ツイッターのメッセージやe-mailで様々なご意見やご感想をいただきました。
誠にありがとうございました。折角ですので、多かった質問など質疑応答の一部をご紹介したいと思います。(尚、質問文の文言は一部短縮するなどして分かりやすいようにしました。寄せられた中で誹謗中傷や理解不能なもの、重複しているものは省きました。)
Q:ブログ拝見させていただきました。非常に重い歴史的事実の紹介の仕方としては果たして妥当なPR方法なのか、という点には私も疑問を抱きました。確かにこれは、田舎によくある何でも萌化して耳目を集めるというPRの手法で、ありきたりな感じはしましたが、ただ、それが果たして戦争体験者や戦死者への侮辱にまでいたるのか、とも思いました。(NYさま)
A:ご意見ありがとうございます。これは記事の中でも書きましたが、例えば広島の平和祈念資料館に「原爆くん」とか、いうマスコットがいた場合、あるいはポップな漫画などで照会された場合、被爆者や原爆による死者の方々はどう感じるだろうか、ということを少し考えればよく分かるとおもいます。それで、加藤氏の例を出しました。特攻記念館にも沖縄の平和記念にも靖国神社の遊就館にもマスコットやポップな漫画の紹介はありませんが、それは何故かを考えていただければと思います。
Q:戦跡の観光地化を危惧しておられるようですが、自治体にとっても、訪れる人にとっても観光地化して知ってもらうのは良いことだと思うのですが。(Aさま)
A:ご意見ありがとうございます。記事をちゃんと読んでいただければ分かりますが、
我々は観光地化自体に反対するものではありません。むしろ積極的に観光地化して人を呼ぶべきだと考えています。つまり、歴史を学ぶ場として広島や知覧のような形で利用されるべきだと考えています。問題は、その手法です。例えば、遊園地なんかをPRするのなら、マスコットキャラクターなんかもいてもいいと思うんですが、実際に戦死している人がいる場所を紹介するのに、果たしてこういう手法は正しいのか、というのが問題なんです。ゲームはゲームであり、現実と混同させることは良くないと思います。一言で申しますと「人が死んでんねんで」ということです。
Q:戦争という歴史をあまりに否定的に取り過ぎてはいませんか。戦争の捉え方は百人百様だと思うのですが。慰霊だけが戦争の解釈ではないと思います。(匿名さま)
A:ご意見ありがとうございます。もちろん色々な立場の方が百人百様の体験をされたわけですが、私が話を聞いた戦争体験者の方で、「もう一回戦争をしたい」とか「戦争はとても楽しかった」という話は聞いたことがありません。もちろん、戦争を体験した世代が戦争を総括した際に、皆が一様に「戦争はいかん」と述べているわけですから、むしろ近代戦を肯定的に捉えようとする方が無理があるのではないかと思います。
慰霊だけが戦争の解釈ではないということですが、
ここでは確かに慰霊と顕彰という観点で考察を行ってきましたが、それは、ここでの取り組みにあまりに慰霊という視点が欠けていると感じたからに他なりません。軍艦の慰霊祭などをやっておられるそうですが、人吉にある相良護国神社や地元の戦没者遺族会との連携の方が先ではないでしょうか。もうやっておられるのでしょうか。
Q:私は艦これユーザーですけど、戦死した人を侮辱するつもりもないし良心もある。ゲームをやったことがないなら、余計な口出しはしないでほしい。(不明:ツイッターメッセージにて)
A:ご意見ありがとうございます。今回はあくまでネットゲーム界隈の不貞な輩を紹介するつもりで、ツイッター上の画像を使いましたが、その結果としてそのゲーム関係のものが多くなってしまったというまでです。最初からそのゲーム自体を否定するつもりはありませんでした。
ゲームに興じている人皆を批判するものでは当然ありません。しかし、やはりこれだけ問題行動を誘発するゲームというのは、大いに問題があると思います(もちろんプレイヤーに問題があるわけではありません)。それに、扱っている題材の重さと脱衣麻雀の様なコンピューターゲームのギャップに違和感を感じませんか?その軍艦に乗っていて死んだ人がいることなどを忘れてはいませんか。現実の戦争はゲームではありません。それをきちんと分かったうえでゲームをやっているのであればいいのですが、一部に
現実とゲームの境界が壊れているような人々がおり、この記事では、それらの不貞な輩を問題ありとして取り上げました。つまり、ゲームの世界と現実の世界をごっちゃにして、死者を侮辱するような行為に及んだ連中を批判したわけです。一人で楽しんだり、仲間内で遊ぶむものなら何とも思いませんが、実際の慰霊碑や神社を傷つけるような行為に及ぶ場合、とても看過できません。彼らが仲間内で楽しくやっているなら我々も文句を言いませんし、そもそもこちらに口を出す資格などありませんが、軍艦那珂慰霊碑における墓荒らしに等しい行為など、度を越したことをすると無視できないのです。つまり、ゲームをゲームとして楽しんでおられるのであれば、私どももこういう取り上げ方はしませんし、仲間で集まって楽しくやればよいと思っています。つまり当然ながら、全然問題ないと考えています。要は、
問題なのは、上で少し取り上げたような、ゲームと現実の区別がついていないような人たちなんです。できればもう少し分別をもって頂きたいものです。要は、住み分けがきちんとなされることが大事なのです。
Q:役場の方が頑張っておられるのだから、あまり否定的なことを書いて人吉の印象を悪くするのはやめてほしい。(匿名様)
A:ご意見ありがとうございます。役場の方には案内などしていただいて、大変お世話になりました。また戦跡の保存活用についても、官民一体となって超人的な働きをされていて(しかも限られた少人数で)、とても感銘を受けました。錦町さんがやっておられる素晴らしい戦跡保存事業の中で、少し問題がある――と私が思った――一部のPR手法についてうーんと思ったので、こういう記事を書いたのであって、町での取り組みを全否定する意図がないことは記事を読んでもらえれば分かります。
むしろあのようなPRで否定的な印象が全国に広まって誤解されてしまうことを私は心配しているから、こういう記事を書いたんです。一言でいえば、「こういう宣伝の仕方では誤解されるんじゃないか」ということです。この記事で書いていることも、誠に僭越ながら、ほとんど現地で担当の方とお話したことです。予算面、人員面でとても苦労されているという事はよく分かっていますし、それにもかかわらず大変な成果を収めていることも知っています。記事を読めば、誹謗中傷するようなものでないことはすぐわかると思います。
民間の方がマスコットキャラクターをデザインされたり、漫画を描いたりしておられるということですが、それ自体はとても素晴らしいことですし、郷土史家の方が個人でされることは良いことだと思うのですが、それがひとたび公式のものになってしまうと、話は変わってきます。つまり、きちんと精査されたうえで、適切かどうかを吟味せずにそのまま公式マスコットにして漫画や資料館のホームページに張り付けてしまうと、町全体の方向性がこういう浅薄で思慮の浅い感じなのかと受け取られてしまうからです。それは
実際には、非常に堅実に精力的に保存や活用をやっている錦町にとっても不本意なことではありませんか?ですから「悪ノリ」という言葉を使ったのです。何度も申し上げていますが、これは思想云々ではなく手法の問題です。個人がやってきたことを行政がバックアップするのであれば、あくまで非公式なものとして扱うべきでしょう。そこに税金が投入され、
批判的に検討されずにそのまま公式的な扱いを受けるようになると、不本意ながら、公式マスコットや公式ウェブサイトに採用する場合、結局それを生み出した民間の方が批判の矢面に立たされることになります。漫画やマスコットなどのサブカルチャーは非公式であるからこそ許容されるというものです(ふなっしーとかがそうですね)。だから、こういうのもあります、ぐらいでとどめておいた方が良いと思いました。そのぐらいであれば、我々もわざわざ論うこともありませんでしたし、新聞に投書された方のように問題に思う人も少なかったと思います。協力体制とは一方的に乗っかるだけではだめです。やる気のある民間の方がいるなら、そちらの方に丸々任せるのではなく、せめて行政のフィルターを通すべきでしょう。フィルター自体がダメならもうおしまいですけど。いずれにせよ、どういう活用の仕方が望ましいのかということは、これからも考えていかねばならない問題だと思います。
そもそも人吉はとても風光明媚な良いところでしたし、ぜひまた訪れたいとも思っています。今回は調査が目的でしたが、次回は観光名所や、完成した資料館なども機会があれば訪れたいと思います。
Q:ゲームを入り口にした戦争や歴史の理解が盛んになっている点も評価できませんか。(とても多かった意見)
A:
もちろん、ゲームをきっかけに興味をもって調べるようになった人も身近に大勢おられますし、事実、そのようなブームが起爆剤になって関心が高まってきたと言えます。きっかけづくりとしては、多くの人間を取り込んでいることは事実です。
問題は、現実をよく知ったうえでゲームをするのと、ゲームで知ってから現実に干渉するのとでは大きな差があるということです。ゲームから入った層は、どうしてもゲームのことを土台にしながら現実に干渉していきますから、私は必ずしも良いとは思えません。つまり、無意識に戦争は「楽しいゲームの世界」を土台にしながら戦争について学ぶというのは、学ぶための準備姿勢としては不適切だと思うからです。
そもそも学ぶための目的が不純なわけですから、結局ゲームの世界と現実の区別もろくにできないような連中(慰霊碑の前でポーズをとるなど)がでてきてしまうのです。
ゲームを入り口にして、きちんとした研究調査に取り組んでおられる人ももちろんおられますが、そういう意識的な人たちは私の知る限りごく限られており、大半の人間は中途半端なままに「戦争や歴史に対する理解」をすすめてしまい、つまりゲームの延長として戦争を捉え、戦跡の損壊や不遜な行為に及ぶわけです。これはもちろん、「ゲームや漫画を入り口にした戦争理解」が多くの不遜な人間を生み出したということが問題なのであって、ゲームや漫画で戦争について携わるようになった人皆を批判するものではありません。戦没者供養や戦跡整備にゲームを持ち出して来るような人が、果たして、戦争についてよく考えているとか英霊に敬意を払っているといえるでしょうか。
こういう分別のない人々を生み出し、愚かな行為を誘発する培養土になりうる(現にそうなっている)、という意味でゲーム、漫画を入り口にするのはどうだろうか、ということです。
要は、何度も申し上げておりますが、ゲームやアニメを入り口にして関心を持った方で、理性的にふるまえる方つまり仮想と現実の区別をつけられる方ばかりであれば良いのですが、現状、必ずしもそうでないということ(慰霊碑の前でグッズと記念撮影、慰霊祭に場違いな服装で出席など)から、あくまで、こういうPRは控えるべきではないかと申しているのです。おかしな宣伝をすれば、変な奴も来ます。
引き続きご意見ご感想お待ちしております。できれば一読したうえでコメントくださると幸甚です。
また、よろしければ、同じ熊本県内の
菊池飛行場での取り組みと保存活動をされている
倉沢氏についての記事もご覧ください。