荒尾二造(東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所)は、大陸での戦火の拡大による需要増と関東大震災で大被害を受けた、板橋の東京陸軍造兵廠の生産力をカバーする為、昭和十三年、熊本県荒尾町に建設されました。ここでは主に火薬の製造を行っていました。
荒尾が選ばれたのは、石炭酸が入手しやすく、小倉造兵廠への鉄道輸送路が確保できているというのが、主な理由でした。地元有志の努力により、現在も多数の施設が現存しています。
地元では「荒尾二造」もしくは「二造」の愛称で呼ばれてきました。荒尾市でも市民団体「近代化遺産 荒尾二造変電所跡等をいかす市民の会」による調査研究や保存維持が盛んです。
▽地元有志の手で発行されたパンフレット
このパンフレットは荒尾市中央公民館にて配布されています。
サイクリングルートマップというのが折角あるので、自転車で周ってみたいと思います。
▽サイクリングルートマップ
全部回ると150分くらいらしいです。
このマップでスタート地点がJR荒尾駅になっていますが、荒尾駅周辺にレンタサイクルのお店はありませんでした。
一駅戻って、JR大牟田駅にて自転車を借りて、出発です。
▽相棒の四号車くん
サドルのスプリングが容赦なくケツに突き刺さります。
ノーマルチャリを借りましたが、後々これが悲劇を生むことに。
このサイクリングマップの自転車専用道路は、かつて工廠内部まで続いていた造兵廠専用軌道跡です。
▽市民団体の尽力によって建てられた記念碑
▽工廠内の浄水場
現在も市の上水道施設として稼働しています。
▽陸軍の五芒星マークの付いた消火栓
当時の軌道跡に作られたサイクリングロードを進んでいくと、左手に変電所跡が見えます。
▽変電所跡
▽「Trans former substation」
進駐軍の要請で日本人が書いたものです。
▽火薬庫
▽火薬庫2
▽火薬庫3
車庫として利用されています。
他にもたくさんの火薬庫がありますが、自転車でこの高低差は回れませんでした…
せめて電動自転車を借りるべきでした。
▽火薬庫4
▽内部
▽この鉱滓煉瓦の壁も結構古いものに見えますが、戦後のものでしょうか。
▽このノコギリ屋根の工場建屋も古そうですが
この辺りで恥ずかしながら足がつってしまい、自転車での探索を終えました。パンフレットには全行程が150分とありますが、もの凄い高低差と山登りみたいな道まであるので、とてもママチャリでは無理です。車かバイク、あるいは少なくとも電動自転車で行かれた方が良いかと思います。作られた方も実際に周ったことはないとか笑。
他にも色々な施設がありますが、是非ご自身でご探訪下さい。
この後、このパンフレットを作成された、荒尾二造保存会の方に工員宿舎跡などをご案内頂きました。戦時中、無計画な徴兵により二造でも工員が不足し、近隣の中学や女学校から多数の学徒が穴埋めの為に動員されました。他にも、例に漏れず朝鮮人の徴用工も多数動員されています。
▽現存する動員学徒宿舎
▽動員学徒宿舎に書かれていた「天佑神」
▽「我等日本国民なり 三千年の愛国の血潮 をにごすな」
▽「一億同胞よ 辛苦を切り抜け」
▽上荒尾熊野座神社
▽明治天皇の即位を記念して建てられた神社
造兵廠建設の際、お宮の土地は接収されませんでした。
その為、神社に沿って陸軍の境界石が点々と残っています。
▽元将校集会所跡地
陸軍の高級将校の集会所でもあり、お偉方が視察に来た時の接待所にもなりました。
現在、建物は残っていません。
▽造兵廠所長住居跡
▽土留のついた門柱
▽完存する宿舎
▽当時の姿そのままです
▽二段になっている土手
これらの土手や垣は、徴用工の朝鮮人による襲撃に備えて作られたものでした。
▽当時の門柱
▽こちらにも土留のついた門柱
▽ここには工員たちの為の食糧品や日用品を販売する店がありました。
▽イチボウ内部に残る用具庫
リベット打ちの柱がいいですね。
▽今は無き火薬収函建物
通称「カソ」で、火薬などが収函されていました。
▽角田橋
▽二列の廃液路が残っています。
▽廃液路
強酸性や強アルカリ性の劇薬を廃棄する為の廃液路です。溶けないように片方は陶製、もう片方はコンクリート製でできています。これらの液体を、海岸の施設で中和してから海に排水していいました。
当初は海に廃液を垂れ流していたそうですが、工場が稼働してすぐに、付近の海で魚が大量死するなどの問題が発生したため、突貫工事でこのような設備が設けられました。
近々、荒尾二造資料館がオープンするようです。非常に楽しみです!
保存会の皆様、誠にありがとうございました。