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京都大学戦争遺跡研究会(2017-)

 戦争遺跡研究会は、主に戦争の記憶を後世に継承するための活動に取り組んでいます。活動内容は、戦争体験者からの聞き取りや、「戦争遺跡」と呼ばれる明治~昭和までの戦争に関する遺構の調査研究などです。現在、各地の教育委員会や郷土史家、戦友会、有志の方々などのご協力を頂いて「戦争遺跡アーカイブ」を作成中です。本サイトでは我々の活動の一部を公開させて頂きます。ご質問ご意見はyuki0118(アットマーク)gmail.comまでお願いします。2016年以前の活動はこちら→http://senseki3.kyotolog.net/ ツイッター @sensenki3

海軍三机基地

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海軍三机基地

愛媛県伊方町三机湾は、海軍特殊潜航艇の訓練場でした。「帰らぬ五隻九柱の♪」で知られている、真珠湾の九軍神もこの地で訓練をしました。

▽九軍神


 三机湾が訓練所となったのは、まず人目につかない僻地であることと、地形が真珠湾に似ているという事が理由でした。
 現在、三机湾内の須賀公園内には、旧軍神の碑が立っています。

▽引き上げられた甲標的(1960、真珠湾)


アクセスは、車があれば便利ですが、八幡浜駅から伊予鉄バスで「堀切大橋」下車、そこから30分歩けば三机に着きます。

▽三机湾図(Googlemap)


▽真珠湾

深度とか潮の流れとかが似ているのでしょうか。

▽三机湾


▽須賀公園内の八幡神社


▽夜間戦闘機「極光」のプロペラ

昭和六十三年七月二十二日に松之浜沖にて引き揚げられたそうです。

▽機種に三式六号無線電信機を搭載した夜戦型「銀河」(極光)

残念ながら、夜間迎撃において戦果を挙げることはできませんでした。

▽プロペラの傍にある石碑


▽大東亜戦争九軍神慰霊碑


▽忠霊塔


▽須賀公園より三机の町を望む


▽松本旅館

士官が宿泊しました。

▽岩宮旅館(奥の建物)

岩見屋旅館には下士官以下が宿泊していました。
建物は戦後建て替えられましたが、縁の品などが展示されています。
教はこちらに宿をとりました。

▽昭和十六年、岩宮旅館にて撮影された写真

左から、着物姿の女性が旅館の緑氏、酒巻少尉、神田少尉、松尾中尉。前列加藤中佐、黒見兵曹長、浜井兵曹長。



▽特潜乗員の宿泊した旧岩宮旅館別館

建物は無くなって郵便局になっています。

▽館内に展示された軍神縁の品の数々

このほかにも書簡や寄せ書きなども展示されています。

▽客室にある書

これも旧館からのもの?

こちらの宿では大変よくしていただきました。とても快適でした。四国の「おもてなし」の心を感じました。
どうもありがとうございました。

▽座礁し、オアフ島の海岸に打ち揚げられた特殊潜航艇



金谷製菓店のご主人にもお話をうかがうことができました。

<<金谷菓子舗ご主人の証言>>
 訓練の流れは、まず松ノ浜を出た特潜が三机湾入り口で潜航し、そのまま湾内に侵入し、Uターンした後でまた湾口で浮上するというものだった、と聞いた。湾内で浮上することはなかったが、山の上などから黒い船体がぼんやりと確認できた。特潜はブクブクと泡を吐いていた。
 松ノ浜に整備工場があったが、建物の上に黒い天幕を張って、中が見えないようになっていた。とにかく、我々村人はほとんど関わることがなかった。今は松ノ浜にもほとんど人が住んでいない。


▽特潜の整備工場のあった松ノ浜


遺構らしきものは見当たりませんでした。

▽コンクリートの残骸があるが…


▽サメがいるらしい


▽三机の夕暮れ


岩宮旅館さま、金谷菓子舗さま、ご協力ありがとうございました。
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