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京都大学戦争遺跡研究会(2017-)

 戦争遺跡研究会は、主に戦争の記憶を後世に継承するための活動に取り組んでいます。活動内容は、戦争体験者からの聞き取りや、「戦争遺跡」と呼ばれる明治~昭和までの戦争に関する遺構の調査研究などです。現在、各地の教育委員会や郷土史家、戦友会、有志の方々などのご協力を頂いて「戦争遺跡アーカイブ」を作成中です。本サイトでは我々の活動の一部を公開させて頂きます。ご質問ご意見はyuki0118(アットマーク)gmail.comまでお願いします。2016年以前の活動はこちら→http://senseki3.kyotolog.net/ ツイッター @sensenki3

「戦争遺跡」と町興しについて一考――球磨郡錦町での取り組みを例として

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コメント

1. 無題

戦争遺跡に安易なキャラクターの配置は私も見直した方が良いと思います。
この記事で紹介されている那珂の慰霊碑の写真は嫌悪感が出るほど酷い。
海軍墓地や戦争遺跡で安易にアニメキャラを利用するのは反対です。
仮に利用するのであればどういった経緯で作られ、どんな意図や思いが込められているのか説明できなければ駄目だと思います。

あとこの記事はアニメや漫画、ゲーム憎しという感情が強すぎませんか?
戦争遺跡が有名になって多くの人の目に留まるようになれば、おかしな人は増えるし目立ってしまいます。
それは何がきっかけでも変わりません。
慰霊の場で有ることをわきまえた上で訪れるのであれば、
そのきっかけは何であっても構わないと考えています。
私は親族が海軍で戦死しており、慰霊碑や慰霊祭に何度も足を運んでいます。
そこで漫画やゲームがきっかけでその存在を知ったという方々とも出会いました。
彼らの中には慰霊碑の清掃ボランティアを行なったり、元乗組員の方へ戦争体験を聞きに行ったり、慰霊行事や遺族会の手伝いを行うようになった、という人も多く居られましたよ。

2. 無題

NONAMEさま
記事を読んでいただき、またとても興味深いコメントまで頂き、ありがとうございます。

・「戦争遺跡に安易なキャラクターの配置は私も見直した方が良いと思います。
この記事で紹介されている那珂の慰霊碑の写真は嫌悪感が出るほど酷い。
海軍墓地や戦争遺跡で安易にアニメキャラを利用するのは反対です。
仮に利用するのであればどういった経緯で作られ、どんな意図や思いが込められているのか説明できなければ駄目だと思います。 」

 仰る通りです。私も安易なマスコットの使用は控えるべきかと思います。錦町の場合は、住民の発案により公募で決定したそうですが、単なる町興しキャラクターでない以上、せめて行政はもっと慎重にやるべきであったと考えています。ですから記事の中では「悪ノリ」という表現を用いました。
 戦争遺跡マスコットを使用している自治体は他にもありますが、どれもマスコットを使用する必然性が感じられません。レジャーランドでも作るつもりなのでしょうか。原爆資料館に「ゲンバクくん」なんていうキャラクターがいたらどう思われますか?悪趣味だと思いません?そもそもそういうふざけたものを戦争体験者や遺族が目にしたらどう思うでしょう?そういう視点が彼らには欠けていると思います。

・「あとこの記事はアニメや漫画、ゲーム憎しという感情が強すぎませんか? 」
 ご指摘の点につきましては、この記事があくまで「問題点」のみを扱ったものであるということを御留意願います。こうの史代氏の『この世界の片隅に』や中沢啓治氏の『はだしのゲン』など、戦争を扱ったもので、優れた、文学的な漫画やアニメ作品もありますし、全国各地の遺族会や戦友会でも、漫画やアニメを用いた戦争体験の継承ということに取り組んでおられます(ただ、対象者は幼稚園児や小学生ですが)。一応述べておきますが、私は決して漫画やアニメ、ゲーム全てを否定しているわけではありません。あくまで一部の「不適切な」、つまり「敬意に失する」漫画アニメ、ゲーム作品と、それを用いて金儲けを企む主催者、それから誘発され、軽率な行動をとる不貞な輩を非難しているのです。「憎し」という印象を与えるのは、そのような理由だと思います。ゲームや漫画を仲間内で楽しむ限りでは、こちらがとやかく言う資格はもちろんありませんが、最近その一線を越えた例がちらほらあり、無視できる水準を超えていると感じたので、それを書いたまでです。

・「慰霊の場で有ることをわきまえた上で訪れるのであれば、 そのきっかけは何であっても構わないと考えています。 」
 弁えた上で訪れるということであれば、当然動機は不純でも、と思いますし、もちろんアニメや漫画が戦争を知る入口にもなることがあるでしょう。が、行政側が特定の層を狙った宣伝をやるのはどうなんだ?というのが本記事の主旨です。行政側は、「幅広い年齢層」や「若者」に来てもらうことを公言しながら、特定の層に向けたPR活動を行っています。これは大変な矛盾です。宣伝の仕方如何で、やって来る人々の層が大分変ってくるのです。例えば、新聞を読んだり、学校の授業の一環で興味をもってやってくる人たちと、ゲームや漫画を通じて「聖地巡礼」感覚でやってくる人たちが、同じ目的を持って、同じ事前知識を有する人達だとはとても思えません。
 下卑た宣伝をすれば、相応の人間がやってきます(もちろん全員がそうだという訳ではありません)。例えば大洗などのアニメで町興しをやった地域での惨状を目にすると、素直に「キッチュ」なアニメ漫画による宣伝を導入すべきかどうか考え物ですね。戦争遺跡はある種の霊廟的なものでもあると思っていますから、とにかく安易な集客方法によって、たちの悪い連中が大勢来て、貴重な遺構が破壊されたり荒らされることが怖いのです。特に、影響力のある行政側が宣伝をする場合、人を呼べればきっかけは何でも良いというものでもないと思います。確かに、きっかけづくりは難しい課題ですが、単なる町興しではない以上、安易な方に流れてはいけないと思います。

・「そこで漫画やゲームがきっかけでその存在を知ったという方々とも出会いました。
彼らの中には慰霊碑の清掃ボランティアを行なったり、元乗組員の方へ戦争体験を聞きに行ったり、慰霊行事や遺族会の手伝いを行うようになった、という人も多く居られましたよ。」
 もちろんそういう人もおられるでしょうが、「ゲームや漫画で知ったから、慰霊に来た」ということは、わざわざ人前で敢えて言うことでもないのでは。そういうことを聞くと、まあ、ちょっと「あれ?」と思いますね。そういうことは出来れば胸の内に伏せておくべきかと。これは単なる感覚の違いだと思いますので、正しいとか正しくないとかいう話ではありませんが。いずれにせよ、ゲームや漫画を入り口に興味を持つようになる人がおられるのは事実だと思います。

意見どうもありがとうございました。

3. 無題

私も艦これというゲームで戦争の歴史や旧海軍の艦艇に興味を持ったのですが、実際にどこかに赴くわけでもなく、やったことはせいぜいWikipediaの記事を読み流す程度。
キャラクターに擬人化してしまっているせいで、艦名を聞いたらキャラクターの顔が真っ先に浮かぶ始末です。こんなの漫画のキャラクターの名前と顔が一致するのと何ら変わらない。
それだったらもう史実とかきれいさっぱり忘れて、ただの艦名を使っただけのキャラクターでそれ以上でもそれ以下でもないんだと思うようにしました。
しかし先日、艦これの運営が「鎮魂」や「祈り」という単語を口にして自らゲームと現実の境界線を壊すようなこと言ってしまいました。
せっかくゲーム内だけにとどめておこうと思っていたのに、運営自身がゲームと現実の境界線を曖昧にしていて残念に思います。

4. 無題

偏った内容で、マスコミの誘導記事と同じと感じました。
その考えだと、神社や原爆ドームなどで記念写真でピースサインして撮っても駄目だと言いそうですね。
否定的な考えだけでなく、肯定的な考えの意見も書いたほうがいいと思います。
この書き方では、部分的に切り取って都合の良い解釈してると言われても不思議ではありません。

戦争遺跡のキャラクター採用についても、敷居を下げるという点では間違いではないと思います。
施設を作ったとしても、誰も見向きもしない物は無駄な物で終わります。
その施設へ興味を持たせる事を考えれば、悪い考えではないと思います。
大人目線で考えれば不敬かもしれませんが、子供にも興味を持たせるという考えであれば悪くはないと思います。
何事も堅苦しい大人目線での考えでは、子供は興味を持ちません。
先の未来を担うのは子供です。
その子供が興味を持つような事をする事で、未来へと語り継がれるのだと思います。
この子供に興味を持たせるという意味で、キャラクターを採用して敷居を下げる事が愚作とは思いません。
歴史を語り継ぐ事を重視するなら、そんな堅苦しい考え方では無理だと思いますよ。
何事も柔軟な考えが必要だと思います。
偏った考え方の押し付けは、私個人としては賛同しません。

5. 無題

私はゲーム「艦これ」から来たものなので、多少身内贔屓があるかもしれません。最初に断らせて頂きます。

上のコメントNo.2において、一部のゲーム等に対して「不適切」「敬意に失する」という表現をされていますが、これは「艦これ」などのゲームには「故人に対する敬意」が「本来あるべきなのにそれを無くしている」という意図で書かれたものと読み取りました。これに関してなのですが、
「艦これ」というゲームから故人への直接的な敬意を読み取るのは難しいと私も思います。しかし、単なる1ゲームに、「故人を貶めるような表現の撤廃」を求めるのならともかく、「題材として取り上げた事物にかかわる故人への敬意」を求めるのは過剰なのではないでしょうか。
例えば、あなたは、将棋が取り上げられた(村山聖に対する侮蔑的表現を入れていない)ゲームに対して、「村山聖に敬意を払う表現を入れるべきだ、入れるのが本来の姿であり、入れないのは不適切である」と考えることはないと思います(コアな比喩で申し訳ありません)。

また、あなたは『「艦これ」等が現実とゲームを混同する分別のない人々を生み出し、愚かな行為を誘発する培養土になりうる(現にそうなっている)ので、「艦これ」を入り口にするのはどうだろうか』という考えをお持ちのようですが、これに関して
「ゲームと現実を分けて考えられない人が出てきている」から「そのような人を生み出すゲームが悪い」というのは些か乱暴なのでは、と感じてしまいます。もちろんそのような状態は改善されるべきだとは思いますが。
悪いものを生み出す元凶が一律に悪いかどうか、という問題に関する見解の相違でしょうから平行線になるでしょうが、少なくともコメントNo.3にあるように、「艦これ」運営には故人への敬意があるようなので、要望を出されてはいかがでしょうか。「悪い」と切り捨てるのは少しばかり疑問があります(要望を提出したが音沙汰がない、ということならば申し訳ありません)。

自分も、戦争中に悲劇が起こった場所でのピースサインを見ると腹が立ちますし、この記事の主旨については同意しております。それだけに、(上で申し上げた通り、私にはあまり適切な批判だとは思えない)ゲームの批判によって、無用な反感を買うのは勿体無いと感じてコメントいたしました。オタクが「俺らが偏見を持たれるのはAというコンテンツのオタクのせいで、そのキモオタを生み出しているAというコンテンツも悪い!」というのは、心情的には理解されますが同意は集めませんので。

ちなみに昨日から急にコメントがきているのに多少驚かれているとお察ししますが、これは、ゲーム「艦これ」のまとめサイトにて、加藤氏のこの発言の紹介にこのサイトが引用されたからだと思われます。
そのついでにお伺いしたいのですが、この記事に(平成29年6月18日於京都霊山護国神社 講演録より抜粋)とありますが、この講演録はネット上に上がっていない、この会での頒布資料のようなものでしょうか。お答えいただけると幸いです。

6. 無題

コメントNo2はこちらのブログを編集された方という事で良いのでしょうか。

大洗のような「惨状」という表現をされていますが、東日本大震災での震災を受け、あそこまで復興する為の不断の努力を「惨状」という言葉を使って切り捨てるのでしょうか?

7. 無題

編集者さんは「艦これが分別のない人を生み出す」と言いたいのではなく「艦これという入り口は分別の無い人までもが戦争に興味を示してしまう」と言いたいのでは無いでしょうか?
余りにも広すぎる入り口は考えものだと思います
皆が皆まで戦争の歴史に興味を持つがいいことだとは思えません 例えば右翼拗らせたような人までもが知ってしまったら碌でもないことになると

8. Takuya・H

実際今そのアニメで戦没した船がTVの前の貴方と結婚式をするっていう
あり得ないシチュエーションが放送され現実とゲームを混同する分別のない人々を生み出し
ゲーム内で出てくる戦没者を罵倒中傷する画像が流行ったりという状況が続いていますから致し方ないとも思いますね

9. お返事 皆さま、コメントを頂きありがとうございます。


3. 名無しさま、コメントありがとうございます。
名無しさま ご意見どうもありがとうございます。 そのゲーム会社の運営が具体的にどういったことを言ったのかは存じませんが、今になって取って付けたように「鎮魂」だのなんだの言い出したとすれば、少し白々しい感じがしますね。むしろ「何故ユーザーの興を削ぐようなことを言うのか」という名無しさんのお気持ちもお察しします。おっしゃるように、ユーザーがゲームをゲームとして楽しめるよう運営側が配慮するべきかもしれません。
個人や仲間内でゲームを楽しむことと、それを無作為に現実に持ち込むこととの間には大きな差があります。我々は後者を問題視しています。 キャラクターゲームを通じて戦争に関心をもって、それについて色々調べたり、その場を訪れること自体は良いことでしょうが、そういった人々皆が真剣な気持ちで勉強のためにその場を訪れるわけではない、ということは、すでに各地で見受けられる様々な悲しい事例(供養祭にキャラクターグッズ、戦跡でコスプレなど)を見ても分かります。また、残念なことに、戦跡や資料館を「守っていく」立場の人々にも、少しく思慮が欠けるのではないかと思われる例もみられます。果たしてそれは、戦争の当事者にも見せられる、ふさわしい紹介の仕方なのかをもう一度考えていただければと思います。紹介の仕方如何のせいで、折角の貴重な研究成果が不当に評価されてしまうことは本当に残念です。 それに関わった方で存命の方や遺族の方がまだおられるわけですから、その方々が不快な思いをするような行為は絶対に看過できません。また、それはもちろん関係者がみんな死んでしまえば何をやってもいいという訳でもありません。あれだけの犠牲が出た凄惨な戦争は、簡単に娯楽として消費してしまうものではないとも思っています。
このゲームに関して言えば、私のような部外者が何を言ってもどうにもなりませんから、どうか名無しさんのような理性的な方が、ファンの皆様同士で声を掛け合って、行き過ぎた行為をする人々を自制するよう働きかけて下さればと存じます。また、折角関心を持っていただいたのですから、折に触れて少しずつでも色々なことを調べて頂ければと存じます。

よろしくお願いします。

4. NONAMEさまコメントありがとうございます
NONAMEさま ご感想ありがとうございます。 「偏った内容で、マスコミの誘導記事と同じと感じました。 その考えだと、神社や原爆ドームなどで記念写真でピースサインして撮っても駄目だと言いそうですね。 否定的な考えだけでなく、肯定的な考えの意見も書いたほうがいいと思います。 この書き方では、部分的に切り取って都合の良い解釈してると言われても不思議ではありません。 」
原爆ドームの前でピースサインするのは、ちょっとどうかなあと思います。 肯定的な意見も併記する方が良いということですが、まず、記事の冒頭でも述べましたように、錦町での先進的な取り組みの数々(官民共同、フィールドワーク中心型の戦跡整備など)については、「人吉海軍航空隊」http://senseki.kyotolog.net/%E7%86%8A%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E9%81%BA%E8%B7%A1/%E4%BA%BA%E5%90%89%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E5%9F%BA%E5%9C%B0_31にて既に紹介させて頂きました。
「戦争遺跡のキャラクター採用についても、敷居を下げるという点では間違いではないと思います。 施設を作ったとしても、誰も見向きもしない物は無駄な物で終わります。 その施設へ興味を持たせる事を考えれば、悪い考えではないと思います。 大人目線で考えれば不敬かもしれませんが、子供にも興味を持たせるという考えであれば悪くはないと思います。 何事も堅苦しい大人目線での考えでは、子供は興味を持ちません。 先の未来を担うのは子供です。 その子供が興味を持つような事をする事で、未来へと語り継がれるのだと思います。 この子供に興味を持たせるという意味で、キャラクターを採用して敷居を下げる事が愚作とは思いません。 歴史を語り継ぐ事を重視するなら、そんな堅苦しい考え方では無理だと思いますよ。 何事も柔軟な考えが必要だと思います。 偏った考え方の押し付けは、私個人としては賛同しません。」
戦跡整備のモデルとしては、九州であれば、大刀洗や宇佐などの資料館のような展示が望ましいと考えています。 もしどなたかが戦跡整備におけるキャラクターPRの可能性について述べている記事などがあれば、ぜひ紹介して頂きたく存じます。私も戦跡の整備に柔軟な発想は必要だと思います。それらをふさわしい形で紹介し、守っていくこともまたそれに携わる者の務めであると考えています。そして柔軟であることと早計であることは違うと思います。
それから、この記事がどこでどういう紹介の仕方をされたのかは知りませんが、この記事は「我々がこう思う」という、単なる意見発信ですから、別に考えを押し付けているわけではありません。 いずれにせよ、この記事をたたき台として、今後より良い戦跡整備の在り方が模索されればと思っております。
「こんな風に考える人もいるんだなあ」ということを頭の片隅にでも置いといてもらえればと思います。 よろしくお願いします。

5,NONAMEさま、コメントありがとうございます。

どうも記事を読んでいただきありがとうございます。
一つ目のご質問ですが、
「上のコメントNo.2において、一部のゲーム等に対して「不適切」「敬意に失する」という表現をされていますが、これは「艦これ」などのゲームには「故人に対する敬意」が「本来あるべきなのにそれを無くしている」という意図で書かれたものと読み取りました。これに関してなのですが、
「艦これ」というゲームから故人への直接的な敬意を読み取るのは難しいと私も思います。しかし、単なる1ゲームに、「故人を貶めるような表現の撤廃」を求めるのならともかく、「題材として取り上げた事物にかかわる故人への敬意」を求めるのは過剰なのではないでしょうか。
例えば、あなたは、将棋が取り上げられた(村山聖に対する侮蔑的表現を入れていない)ゲームに対して、「村山聖に敬意を払う表現を入れるべきだ、入れるのが本来の姿であり、入れないのは不適切である」と考えることはないと思います(コアな比喩で申し訳ありません)。 」
我々はそのゲーム自体を批判する為にこの記事を書いたのではなくて、ゲームと現実を無作為に混同するようなやり方を批判しているのです。ゲームを個人や仲間内で楽しまれている方を攻撃するものではありませんし、そもそも戦争ゲームそのものに倫理性を求めたり、個人への敬意を求めたりはいたしません。ゲーム批判、またゲームユーザー全体を批判することが主意ではないことを改めて申しておきます。この記事では、ゲームやキャラクターを使ったPRをするとこういう問題が実際に起きるのでは、という例としてあげました(すでに各地で問題が起きているわけですが)。
それから、村山聖さんという方を存じ上げなかったのですが、かなり若くして亡くなっているようですね。20代で亡くなるとは、本当に気の毒に思います。やはり才能ある人間は早死にする運命にあるのでしょうか。その点、私などは天寿を全うすることになりそうですが。
二つ目の質問について、
「また、あなたは『「艦これ」等が現実とゲームを混同する分別のない人々を生み出し、愚かな行為を誘発する培養土になりうる(現にそうなっている)ので、「艦これ」を入り口にするのはどうだろうか』という考えをお持ちのようですが、これに関して「ゲームと現実を分けて考えられない人が出てきている」から「そのような人を生み出すゲームが悪い」というのは些か乱暴なのでは、と感じてしまいます。もちろんそのような状態は改善されるべきだとは思いますが。悪いものを生み出す元凶が一律に悪いかどうか、という問題に関する見解の相違でしょうから平行線になるでしょうが、少なくともコメントNo.3にあるように、「艦これ」運営には故人への敬意があるようなので、要望を出されてはいかがでしょうか。「悪い」と切り捨てるのは少しばかり疑問があります(要望を提出したが音沙汰がない、ということならば申し訳ありません)。 」
No2のコメントにおいて、「学ぶための入り口は何であっても一緒です」という発言があったので、それに対する回答として「私はそうは思いません」という趣旨で「入り口としてはふさわしくない」と述べました。
貴殿は恐らく誤解されているようですが、「戦争について学ぶ際の入り口としてふさわしくない」ということが、そのまま「ゲーム自体が悪である」という意味にはならないと思いますが。私は、おかしな人を生み出す培養土になっているというリスクがある以上、戦争を知るための入り口としてはふさわしくないと申しました。それがひいては戦争ゲーム自体の批判にまで至るわけではないと思います。この記事が終始批判的なトーンなので誤解されたのかと思いますが。記事のどこかで「悪い」と申しましたでしょうか、えー探したんですけど、ちょっと見当たりませんでした。私は、艦これが培養土になっている、つまり「原因」になっているということは言いましたが、だからゲームも「悪い」と言うつもりはありません。「結果」を見た場合に、これが「原因(誘因)」だったという話です。まあ、問題行動を誘発するある種のきっかけになったという意味です。おかしなことをするのは、その人自体がおかしいからに決まっています。

我々の問題提起は「人がくれば何でもいいのか」ということです。
これについて、結果として「関心を持つ人が増えたからそこを認めるべきだ」という、肯定的な面を見る意見と、我々のように「問題行動を起こす人が増えたことを問題視する」人々がいるわけです。貴殿は私以上によく記事を読んでおられるようですので、無駄な解説は不要かと思いますが、我々は「「艦これ」に限らず、ゲームやキャラクターPRによる戦跡や資料館の紹介が、果たしてそこで実際に起こった出来事のふさわしい紹介の仕方なのか疑問に思っています。そして、記事で書いたように、どうやって戦争について関心をもつのか、ということは、その後の方向性を決める大事な問題だと思っています。
 多くの方から、「キャラクターとかゲームを通して戦争に興味を持つ人もいます」という意見をたくさん頂いています。確かにそれは、町おこしとかテーマパークのPRとしては適当な方法だと思うのですが、ただ、それをそのまま戦争遺跡のPRに使ってよいのか、と思います。そして実際に、そういうゲームキャラクタールートで入ってこられた方が、記事で紹介したような問題のある行動を起こしているわけですから、(またそれに遺族や当事者が眉をひそめている以上)、そういうことに眼をつむって、つまり、当事者(戦争体験者やその遺族)の懸念を無視して、「興味を持った人が増えたのだからこれを認めて、もっとやるべきではないか」というのは、ちょっと待ってくださいと言いたいところです。
 もちろんそうでなくて、きちんと頭を切り替えて真剣に勉強されている方もだいぶおられると思うので、そういう方が増えていくことはとても良いことだと思っています。むしろ、そういう方が率先して「適切な」仕方で、つまりふざけた軽率な功利主義的なやり方ではなくて、戦争の理解と継承による啓蒙をして頂ければと思っています(実際にそういう人もおられます)。このゲームが「悪い」というのは、ゲーム自体が全部悪だというのではなくて、こういう問題を起こした「誘因」となっている、ということです。ゲーム会社側も、史実を基にしたゲームである以上、一部のユーザが問題行動を起こすことを予測できなかったのかなと少し残念に思います。まあ、予想外過ぎてそこまで責任を問うのはもちろん酷でしょうが。史実を基にしたキャラクター商売をやるなら、もうちょっと慎重にやってくれたらなあと思います。
 また、要望を出してはどうかということですが、我々はゲーム会社に苦情をいれたり、どうこうしようというつもりは皆目ありません。ついでに申しておけば、当該の自治体に対して、正式に抗議をしたり意見書を送ったりもしていません(役場の方とは意見交換をさせて頂きましたが)。
まあ、「こういう意見の人もいるんだな」と、頭の片隅ぐらいにおいていただければと思います。

「自分も、戦争中に悲劇が起こった場所でのピースサインを見ると腹が立ちますし、この記事の主旨については同意しております。それだけに、(上で申し上げた通り、私にはあまり適切な批判だとは思えない)ゲームの批判によって、無用な反感を買うのは勿体無いと感じてコメントいたしました。オタクが「俺らが偏見を持たれるのはAというコンテンツのオタクのせいで、そのキモオタを生み出しているAというコンテンツも悪い!」というのは、心情的には理解されますが同意は集めませんので。 」
確かに記事の趣旨が煩瑣になっているという点は見直すべきかもしれません。そしてゲーム批判を取り上げたことで無用な批判を招いたというご意見もしっかりと胸に留めておきたいと思います。また、この記事では色々なテーマが重複しており、読みにくかったことは申し訳ないと思っています。我々が言いたいことは全て書きましたので、どう読まれるかは読む方にお任せします。もしこの記事が単なるゲーム批判としてしかとられないのであれば、それは残念なことです。そして、この記事は、同意を頂こうと思って書かれたのではなく、他の人はこれをどう思うのかを知りたくて書かれたものでもあります。もちろんきちんと趣旨を理解してくださる方はおられますので、そういう方々と意見交換できれば望ましいと考えています。
「ちなみに昨日から急にコメントがきているのに多少驚かれているとお察ししますが、これは、ゲーム「艦これ」のまとめサイトにて、加藤氏のこの発言の紹介にこのサイトが引用されたからだと思われます。
そのついでにお伺いしたいのですが、この記事に(平成29年6月18日於京都霊山護国神社 講演録より抜粋)とありますが、この講演録はネット上に上がっていない、この会での頒布資料のようなものでしょうか。お答えいただけると幸いです。 」
 そうでしたか、それは知りませんでした。教えていただきありがとうございます。講演録の件ですが、これは京都霊山護国神社さんが定期的に二ヵ月に一度ほど実施されている、戦争体験者の講演会にて我々が記録したものですので、ネット上にはアップしておりません。加藤さんはそれ以前にも何度か講演会に来られてお話をしていただいたようです。コチラの講演会ですが、たしか主催者の方が動画等で記録しておられたので、保存はされていますが、ネット上で公開されているかどうかは不明です。この記事で引用した箇所は、加藤さんの講演会の質疑応答の時に、どなたかが「瑞雲が復元されたことについてどう思いますか」という質問をされて、それに対する応答として発言されたものです。よろしければ、一度護国神社での講演会の方に参加されてはいかがでしょうか。私もたまに参加させてお話を聞かせて頂いております。(ただし、参加には事前の参加登録と参加料が必要です。)主催者の方々が色々とご尽力されていて、本当に頭が下がります。護国神社の清掃奉仕などもされています。

このゲームを愛好されておられる方が大勢いるというのは知っていますし、私の友人たちもこのゲームにはまっています。ゲームは楽しまれればよいかと思いますし、それについてとやかく言うようなつもりも元から毛頭ありません。ただ、やっぱりユーザーが多くなると、おかしな人も増えて現実の場で迷惑行為に及ぶ人もでてきているので、そこは貴殿のような良心的なユーザーの方々がお声がけをして頂ければと思います。

本当に丹念に記事を読んで頂きありがとうございました。誤字脱字等あり読みづらいかもしれません。もしまだご不明な点などございましたら、是非またコメント頂ければと存じます。

建設的なご意見をありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いします。


6,NONAMEさま、コメントありがとうございます。

こんにちは。ご質問に関して、
「コメントNo2はこちらのブログを編集された方という事で良いのでしょうか。
大洗のような「惨状」という表現をされていますが、東日本大震災での震災を受け、あそこまで復興する為の不断の努力を「惨状」という言葉を使って切り捨てるのでしょうか?」
記事をお読みいただければ分かるかと思いますが、No2のコメントの「惨状」とは、大洗磯前神社での軍艦那珂忠魂碑に対する侮辱行為の数々を指した表現です。該当箇所をお読みいただければと思います。
私も、震災前ですが、一度大洗に行ったことがあります。震災から復興した後の大洗にもまた是非訪れたいと思っております。

7. NONAMEさま、コメントありがとうございます。
「編集者さんは「艦これが分別のない人を生み出す」と言いたいのではなく「艦これという入り口は分別の無い人までもが戦争に興味を示してしまう」と言いたいのでは無いでしょうか?
余りにも広すぎる入り口は考えものだと思います
皆が皆まで戦争の歴史に興味を持つがいいことだとは思えません 例えば右翼拗らせたような人までもが知ってしまったら碌でもないことになると」
これまで教育や学問に携わる人々は戦争関連のものをとても慎重に扱ってきたわけですが、昨今の戦争モノのアニメゲームブームで膨大な人々が押し寄せてきた結果、記事で紹介したようなとんでもないことになっていると言えます。彼らが仲間内で騒いでいるだけなら良いのですが、戦没者供養祭や戦跡で問題行動を起こしているとなると、とても見過ごすわけにいきません。また、そこから興味をもったとしても、分別をもって行動してくれればいいのですが、実際にもう「碌でもないことに」なってしまっているので、もう手遅れとしか言いようがありません。こんなことになっているのに、どうして敢えてこういう宣伝をするのか、と疑問に思います。

8. NONAMEさま、コメントありがとうございます。
「実際今そのアニメで戦没した船がTVの前の貴方と結婚式をするっていう
あり得ないシチュエーションが放送され現実とゲームを混同する分別のない人々を生み出し 」
そのゲームについてはあまり詳しくないのですが、ゲームのシステムの中に現実とゲームを混同するようなシステムがあるということでしょうか。「戦没した船がTVの前の貴方と結婚」というのもちょっとよくわかりません。普通の脱衣麻雀的なゲームかと思っていたのですが。
「ゲーム内で出てくる戦没者を罵倒中傷する画像が流行ったりという状況が続いていますから致し方ないとも思いますね 」
もしそれが事実だとすればとんでもないことですね。その人物が現実の人間で、家族がいるということまで想像力が働かないのでしょうか。それはあまりに浅はかです。そういうものが当事者や遺族の目に触れないよう願うばかりです。
最近、こういう戦争ゲームや戦争アニメの氾濫に加え、チビチリガマでの破壊行為、それから戦争体験者に対する「左翼ジジイ」などという罵倒などを目にするにつけ、戦争の記憶もここまで風化したかと嘆かわしい気持ちになります...

皆さまご意見、ご感想ありがとうございました。

10. 無題

はじめまして。瑞雲が安易にキャラグッズ化しているのも問題が有るのではないかと思っています。
瑞雲ハイランドで検索すると出てくると思うのですがコミックマーケット(趣味の本を売る即売会)でもKADOKAWAブースでは土鍋販売をしたのですが瑞雲を呑水に使っておりどうなんだろう?という思いを抱いております(他にも瑞雲グッズは沢山存在しております)
また、「艦これ」の抱く問題としては
・装備アイテムで「村田隊」「友永隊」「江草隊」等の実名を使った装備が出てくるのですが敵と思われる化物に艦載機を落とされると「村田隊が死んでおられるぞwww」などとバカにしているユーザーが居る(検索サジェストでも出てきます)
・瑞鶴の七面鳥打ちに対しての多数の侮辱発言
・深海に沈んだサラトガを敵キャラ化し、長門・酒匂・プリンツ・オイゲンで戦わせると「特攻効果」(アメリカの核実験「クロスロード作戦」に供された軍艦を基にした艦娘、組み合わせでしょう)が生まれる等のゲーム仕様にしたりファンはそれを「クロスロード組のアトミックパンチw」と侮辱している点。尚、プレイヤーから言わせると「鉄の固まりが沈んだだけであり、問題はない」、第五福竜丸事件の事も知っていないユーザーが居る現状です。
・鬼怒川の大氾濫事件で鬼怒ちゃんのお漏らし等の発言。去年度では大和川氾濫や利根川、熊野川氾濫で大和ちゃんのお漏らし…wと喜んだりしているユーザーが居る事
・また、同じDMMゲーですがイメージの乗っ取りもあると思います。戦艦を調べたいのに美少女画像がサジェストされたりwikipediaを調べたいのに「艦これ」のwikiが優先的に出てくる。艦船名で検索した場合に表示される情報のほとんどが、艦船の美少女擬人化イラストで出てくるのも些か艦これが抱えている問題だと思います。
同じDMMゲーで「社はにほへと」と言うゲームがあったのですが宗教的な問題により開発中止に為ったゲームもあります。オリジナルがなんなのか、正確に伝わりません。
「艦これ」から戦争の悲惨さ、史実を知っていくのはとても良い事だとだと思います、ですがあまりにも「艦これ」ユーザーの中にもマナーが悪かったり、公式が悪ノリをして「史実再現」や「鎮魂」などと軽々しく発言しているのも問題だと思います。
戦艦の擬人化・美少女化ですので不謹慎な部分が出てくるのは致し方ない部分があると思いますが、「慰霊」や「鎮魂」と誤魔化している。
この間のゲーム中のイベントではレイテをモチーフにしたいべ沈んだ扶桑山城を敵に

11. 無題

はじめまして。瑞雲が安易にキャラグッズ化しているのも問題が有るのではないかと思っています。
瑞雲ハイランドで検索すると出てくると思うのですがコミックマーケット(趣味の本を売る即売会)でもKADOKAWAブースでは土鍋販売をしたのですが瑞雲を呑水に使っておりどうなんだろう?という思いを抱いております(他にも瑞雲グッズは沢山存在しております)
また、「艦これ」の抱く問題としては
・装備アイテムで「村田隊」「友永隊」「江草隊」等の実名を使った装備が出てくるのですが敵と思われる化物に艦載機を落とされると「村田隊が死んでおられるぞwww」などとバカにしているユーザーが居る(検索サジェストでも出てきます)
・瑞鶴の七面鳥打ちに対しての多数の侮辱発言
・深海に沈んだサラトガを敵キャラ化し、長門・酒匂・プリンツ・オイゲンで戦わせると「特攻効果」(アメリカの核実験「クロスロード作戦」に供された軍艦を基にした艦娘、組み合わせでしょう)が生まれる等のゲーム仕様にしたりファンはそれを「クロスロード組のアトミックパンチw」と侮辱している点。尚、プレイヤーから言わせると「鉄の固まりが沈んだだけであり、問題はない」、第五福竜丸事件の事も知っていないユーザーが居る現状です。
・鬼怒川の大氾濫事件で鬼怒ちゃんのお漏らし等の発言。去年度では大和川氾濫や利根川、熊野川氾濫で大和ちゃんのお漏らし…wと喜んだりしているユーザーが居る事
・また、同じDMMゲーですがイメージの乗っ取りもあると思います。戦艦を調べたいのに美少女画像がサジェストされたりwikipediaを調べたいのに「艦これ」のwikiが優先的に出てくる。艦船名で検索した場合に表示される情報のほとんどが、艦船の美少女擬人化イラストで出てくるのも些か艦これが抱えている問題だと思います。
同じDMMゲーで「社はにほへと」と言うゲームがあったのですが宗教的な問題により開発中止に為ったゲームもあります。オリジナルがなんなのか、正確に伝わりません。
「艦これ」から戦争の悲惨さ、史実を知っていくのはとても良い事だとだと思います、ですがあまりにも「艦これ」ユーザーの中にもマナーが悪かったり、公式が悪ノリをして「史実再現」や「鎮魂」などと軽々しく発言しているのも問題だと思います。
戦艦の擬人化・美少女化ですので不謹慎な部分が出てくるのは致し方ない部分があると思いますが、「慰霊」や「鎮魂」と誤魔化している。
この間のゲーム中のイベントではレイテをモチーフにしたものでしたが沈んだ扶桑山城を敵に見立てて戦わせたり、プロデューサー自身が「扶桑や山城を同じパーティに組んで百合パワーとか発揮したら楽しい」と発言していたりかなり艦これ運営の思考がズレているということもわかります。
(http://www.4gamer.net/games/205/G020591/20130911062/)
私個人としては艦これから史実に興味を持った事はとても良いことだとは思うけれども「敬意を払い、侮辱をしない」事が一番大切なことなのではないかなと思っております。
今の艦これユーザーは「やりすぎ」だと思っております。
一意見としてご覧くださいませ。

12. 無題

二重投稿になり申し訳ございません。

13. No10,11,12さま コメントありがとうございます。

こんにちは

コメントありがとうございます。また、ゲームに関する情報をありがとうございます。

元より、慰霊とか敬意をゲーム会社に期待してはいませんが、どうやら思っていた以上にヤバそうな感じですね...
おっしゃるように「敬意を払い、侮辱をしない」というのは大切なことだと思います。
ゲームをするだけならまだしも、こういうゲーム感覚を、戦没者供養祭とか戦跡整備に持ち込むのは本当に勘弁してほしいです。

ゲームの問題点については、同じような考えを共有する方々で集まるなどして、会社側に提言されればよいかと思います。マナーの悪いユーザーについては、ユーザー同士でお声がけしていただければと思います。

よろしくお願いします。

14. 無題

私自身も艦これの古参ユーザーですが、所謂萌えミリは只の戦史やミリタリーに比べ、環境的に正常な判断力を失わせている部分が非常に大きいと考えています。
昨今のオタク界隈は悪乗り至上主義と負の方向へのチキンレースが跋扈するような界隈であり、下衆な話題を持ち出したり大喜利をして群れることが日常となっています。
普段は正常な思考を持っている人間であっても、周囲の環境に流されて染まってしまうこともありますし、声を上げても戯言と一笑されるか屁理屈で反発されるケースが多いです。
艦これそのものがオタクミームに取り込まれて久しい今、ファンの間での自浄作用はもはや期待できないと私は考えています。

15. 鶉野飛行場マスコットキャラクターの作者です。

鶉野飛行場マスコットキャラクター「ウズラノ少尉」の作者、藤中健二と申します。ブログを拝見しましたが、我々の「鶉野飛行場の保存活動」の背景も知らず何の取材も無しに「マスコットを使用した広報活動」を一方的に批判された記事はまったく事実と違いますのでコメントさせていただきます。まず「ウズラノ少尉」は任意団体である「鶉野飛行場未来プロジェクト」と私、藤中が自発的に創作したモノで加西市や自治体の公募ではありません。そもそも「鶉野飛行場資料館」を地元ボランティア有志で運営する運営費(家賃や光熱費)をまかなう為にグッズ販売をし、その収益を全額それにあてています。何事もゼロ円では事は起こせません。従って私を含めたプロジェクトスタッフはまったくの無報酬であり、そちらが書かれた「戦争遺跡を利用した浅薄なる功利主義が顔をのぞかせている。」という記述は不適切です。また「戦争遺跡にマスコットキャラクターは不要である」という持論を展開し「それ自体が絶対悪」であるかのように記述されていますが、果たして絶対にそうなのでしょうか?そもそもキャラクターを登場させる意図は「親しみを持っていただく」為です。「戦争」という重く悲惨なテーマだけでは感心をなかなか持っていただきにくいモノです。「鶉野飛行場」には「特攻隊が出撃した」という悲劇の歴史もありますが、「当時の若者たちと地元住民とのあたたかいふれあい」も語り継がれる戦争証言なのです。このキャラクターを創作するにあっても自分は「英霊の方々」を深く想いながら作り出したモノです。そこに「英霊の方々を冒涜するような意図は全くありませんし、そのような意匠を紡ぎ出せた」と思っています。それでもそれは見た人の印象ですからさまざまな意見や感想はあるでしょう。それは仕方がないと思いますが、少なくともこのキャラクターが誕生して以来2年間で好意的な意見を聞くことがあっても「英霊や戦争遺跡を冒涜している」といった否定的な意見を口頭でもネットの書き込みでも見たことはありません。

元より「ウズラノ少尉を利用した戦争遺跡のテーマ化」など意図したことも想像したこともありません。そんなものが成功するはずもありません。我々はひとえに「鶉野飛行場にあった歴史を少しでも多くの人々に伝え、考えていただき、当時の歴史と人々を思っていただきたい」そのためにはどうしていったらいいのか?について心を砕いています。

16. ブログ記事読ませて頂きました。

私もいわゆるミリオタという人種ですが、ここ最近のアニメ税とは大分距離感を感じています。私らの頃は、なんと言いますでしょう、ある種の後ろめたさというか「業」みたいなものを感じていたわけですが、最近のミリタリーブームには全然そういう後ろ暗さがないんです。
と、まあ少しジジむさい感想でした。。

17. ブログ記事読ませて頂きました。

私もいわゆるミリオタという人種ですが、ここ最近のアニメ税とは大分距離感を感じています。私らの頃は、なんと言いますでしょう、ある種の後ろめたさというか「業」みたいなものを感じていたわけですが、最近のミリタリーブームには全然そういう後ろ暗さがないんです。
と、まあ少しジジむさい感想でした。。

18. お返事 皆さま、コメントをありがとうございます。

14. NONAMEさま、ご意見ありがとうございます。

「私自身も艦これの古参ユーザーですが、所謂萌えミリは只の戦史やミリタリーに比べ、環境的に正常な判断力を失わせている部分が非常に大きいと考えています。
昨今のオタク界隈は悪乗り至上主義と負の方向へのチキンレースが跋扈するような界隈であり、下衆な話題を持ち出したり大喜利をして群れることが日常となっています。
普段は正常な思考を持っている人間であっても、周囲の環境に流されて染まってしまうこともありますし、声を上げても戯言と一笑されるか屁理屈で反発されるケースが多いです。
艦これそのものがオタクミームに取り込まれて久しい今、ファンの間での自浄作用はもはや期待できないと私は考えています。」
 そうですか...それはとても残念です...ブームが去るのを待つしかないのでしょうか。せめて趣味のアニメゲームと現実の区別ぐらい付けて頂きたいものですね。分別のない人はどこにもいると思いますが、それにしても度を越していると思います。
 また、この記事はそういう人にすこし考えてほしいなあという意図もあって書いたものでしたが、どうやらツイッターの200字程度ですらまともに理解できないような人たちに読んでもらおうというのが、そもそもの間違いだったかもしれません。記事についての色々な感想をもらうのですが、文意を理解していないものや私たちの言っていないようなことを批判する意味不明なものがありますから、最早これでは文盲同然です。ネットの記事ですらまともに読んでもらえないとなれば、もうどうしようもありませんね。反対に、真剣に現状を憂いておられる方からは、様々な有益なご意見やアドバイスを頂戴できるので、それは非常に大きな収穫であったかと思っております。
 そういう分別のない人間が増えているからこそ、その抑止の為に古参の方々の果たす役割が益々大きくなっているのではないかなあとも思いますし、貴殿のような方に僅かな希望を託したいところですが。


15. 藤本さま

ご意見ありがとうございます。また、記事をお読みいただきありがとうございます。

「ブログを拝見しましたが、我々の「鶉野飛行場の保存活動」の背景も知らず何の取材も無しに「マスコットを使用した広報活動」を一方的に批判された記事はまったく事実と違いますのでコメントさせていただきます。まず「ウズラノ少尉」は任意団体である「鶉野飛行場未来プロジェクト」と私、藤中が自発的に創作したモノで加西市や自治体の公募ではありません。そもそも「鶉野飛行場資料館」を地元ボランティア有志で運営する運営費(家賃や光熱費)をまかなう為にグッズ販売をし、その収益を全額それにあてています。何事もゼロ円では事は起こせません。従って私を含めたプロジェクトスタッフはまったくの無報酬であり、そちらが書かれた「戦争遺跡を利用した浅薄なる功利主義が顔をのぞかせている。」という記述は不適切です。」
 まず、取材をせずに取り上げたことは申し訳ないと思っております。「ウズラノ少尉」は、「戦跡マスコットキャラクターの例」という形で取り上げました。この記事の主意は、戦跡マスコットキャラクターが「場違いではないか」、あるいは「ふさわしい紹介の仕方なのか」ということです。ですから、飛行場保存会の方々の理念や内情を知らないための誤解というよりは、元より、その「戦跡マスコットという手法」を問題にした文脈で取り上げたわけです。
 鶉野飛行場が民間のボランティアによって運営されていることは存じ上げておりますし、大変な苦労をされているということも聞き及んでおります。そして同時に、調査、研究、保存活動において多大な成果を上げておられることも存じております。ただ、戦争遺跡をキャラクターでPRする、或いは戦争遺跡にマスコットキャラクターを据えるということに違和感を感じましたので、その旨を記事に書かせて頂きました。
 まず、資金繰りについてですが、各地の戦跡保存団体の方々に取材したり、実際に私たちも各々の地元で戦跡保存活動に携わっているので、どの団体もお金の工面に苦労していることは重々承知しております。ただ、やはりどこもお金がない中で最低限の節度をもってやっているわけですから、キャラクターグッズを売って資金を工面というのに、違和感を覚えるわけです。お金が集まれば、資金を工面できれば何でもいいのかなあと思ったわけです。戦跡保存団体の多くは、マスコットキャラクター等のグッズ展開することなく運営しているわけですし、もっと他に良い方法がないものでしょうか。他の団体等とノウハウ等を共有できれば、こういう手段に頼らずに資金面の問題をクリアできるようになるのではと思います。
 ですから、「戦争遺跡を利用した浅薄なる功利主義が顔をのぞかせている。」というのは、「戦争遺跡にふさわしくないマスコットキャラクターのグッズ販売等の功利的手法がとられている」ということです。つまり、保存会の理念を揶揄したものではなくて、「キャラクター商売」と「グッズ展開」という極めて営利的「手法」が問題だというわけです。これは記事を通して読んでいただければ分かると思います。

「また「戦争遺跡にマスコットキャラクターは不要である」という持論を展開し「それ自体が絶対悪」であるかのように記述されていますが、果たして絶対にそうなのでしょうか?そもそもキャラクターを登場させる意図は「親しみを持っていただく」為です。「戦争」という重く悲惨なテーマだけでは感心をなかなか持っていただきにくいモノです。「鶉野飛行場」には「特攻隊が出撃した」という悲劇の歴史もありますが、「当時の若者たちと地元住民とのあたたかいふれあい」も語り継がれる戦争証言なのです。このキャラクターを創作するにあっても自分は「英霊の方々」を深く想いながら作り出したモノです。そこに「英霊の方々を冒涜するような意図は全くありませんし、そのような意匠を紡ぎ出せた」と思っています。それでもそれは見た人の印象ですからさまざまな意見や感想はあるでしょう。それは仕方がないと思いますが、少なくともこのキャラクターが誕生して以来2年間で好意的な意見を聞くことがあっても「英霊や戦争遺跡を冒涜している」といった否定的な意見を口頭でもネットの書き込みでも見たことはありません。 」
 「絶対悪」かどうかは知りませんが、あまりにあり得ない組み合わせに面食らったというのは正直なところです。これまで色々な戦跡保存団体や平和団体の方々とお話させて頂きましたが、こういうことをやっている団体は見たことがありませんでした。
 藤中様のお話では、鶉野飛行場に親しみをもってもらい、当時の軍人と地元の人々との「あたたかいふれあい」を伝えていくことがマスコットキャラクターの役割であるとすれば、やはりそれは片手落ちではありませんか。そもそもそういう「ふれあい」の歴史はマスコットキャラクターを使わなければ伝わらないものなのでしょうか。もっと言えば、戦争遺跡はキャラクターを使って親しみをもってもらうようなものなのかな、という気もします...やっぱりそうなると、そこがどういう場所だったのか、ということが上手く伝わらないんではないかと思います。つまり、特攻基地として使用されたという悲しい事実が果たしてきちんと伝わるのかと危惧しているわけです。もちろん、「特攻機出撃」、「地元の人々との交流」、これはどちらも伝えていかなければならない事実です。しかし、マスコットキャラクターによって、もう片方の悲惨な特攻機出撃という側面は、きちんと伝えることができるでしょうか。「キャラクター」と「特攻出撃」をふたつ並べた場合、私は違和感を覚えてしまいます。
 記事でも述べましたが、例えば特攻基地のあった知覧や原爆ドームに「ちらんちゃん」や「原爆くん」といったマスコットキャラクターはいませんし、それから、あの靖国神社にすらマスコットなどというのはいなかったと思いますが。(いるのか...?)もしいたとしたらどうでしょう。それになぜこれらの団体が敢えてそういうことをやらないのか、ということも考えて頂ければと思います。特攻、自殺攻撃、事故死、戦死、顕彰、慰霊、鎮魂といった言葉とこのキャラクターを並べた場合、どうでしょうか。そこであった事実と照らし合わせた場合、こういうキャラクターはそこを紹介するのにふさわしいものでしょうか。私たちは、そこであった凄惨な事実とポップなキャラクターの併存に違和感を覚えてしまいますし、それだけでなく、記事で紹介したように、慰霊碑でキャラクターと撮影したり、マスコットキャラクターを戦跡に据えたりすることで、地元(もちろん鶉野ではありませんが)の方や遺族会、戦友会の方々があきれておられるのを何度か見聞きしてきて、「当事者の声が無視されているのでは」と思い、こういう記事を書いたわけです。ですから、私たちの好き嫌いではなく、「当事者の声」というのが執筆動機になったと言えます。「浅薄な」という表現を用いたのは、こういうことです。

「元より「ウズラノ少尉を利用した戦争遺跡のテーマ化」など意図したことも想像したこともありません。そんなものが成功するはずもありません。」
「テーマパーク化」というのは、「キャラクターを使ってPRして人を呼び込む、関心を持ってもらう」という意味の比喩です。もちろんそういうことを意図的にやっておられるのではないと信じていますが、「マスコットキャラクター」「グッズ販売」「親しみをもってもらう」「あたたかいふれあい」等の外面をみた場合、やっぱり戦争遺跡とセットになるとをおかしな感じがします。もちろん藤中様はじめ、プロジェクトの皆様は真摯に慎重に取り組んでおられると思うのですが、少しこういう外野の意見に耳を傾けて頂ければと存じます。

「我々はひとえに「鶉野飛行場にあった歴史を少しでも多くの人々に伝え、考えていただき、当時の歴史と人々を思っていただきたい」そのためにはどうしていったらいいのか?について心を砕いています。」
これは誠に殊勝なお心がけだと思いますし、身銭を切ってご奉仕されているということについては、当然素晴らしいことをされていると感銘を受けています。また、鶉野飛行場の調査研究の成果に関しては特別の敬意を抱いております。それだけに、「なぜ...?」という気がしてなりません。
念のために申しておきますが、私たちは元より「キャラクターの使用をやめろ」などということを要求したり抗議するというつもりはありません。
色々書きましたが、こういう考えの人もいるんだな、と頭の片隅においていただけくだけでも私たちとしては幸いです。

よりよい戦跡整備が実現できるように、また取材に赴き、色々お話を伺いたく存じます。
鶉野飛行場の調査研究、保存活動の益々のご成功をお祈りしております。

戦争遺跡研究会 工学部 4回生 浦辺


16.17. NONAMEさま ご意見ありがとうございます。

「私もいわゆるミリオタという人種ですが、ここ最近のアニメ税とは大分距離感を感じています。私らの頃は、なんと言いますでしょう、ある種の後ろめたさというか「業」みたいなものを感じていたわけですが、最近のミリタリーブームには全然そういう後ろ暗さがないんです。
と、まあ少しジジむさい感想でした。。 」
 なるほど「業」ですか。真剣に取り組んでおられるからこそ、そういう「業」を感じることができるのかとも思います。残念ながら、昨今の大半の人々は単に戦争を、ゲームや漫画などの娯楽を通して「消費」しているだけでしょう。ゲームや漫画だけで終わってくれればいいのですが、現実とゲームの区別すらつけられないような人間がでてくるわけですから、困りものです。「業」を感じるほどに真剣に戦争の問題に取り組む人はこれから出てくるでしょうか。
貴殿のような方のご活躍を期待しております。

ただいまコメントを受けつけておりません。

「戦争遺跡」と町興しについて一考――球磨郡錦町での取り組みを例として

※全部読むのがだるい人は、太字のところだけ読んでください。
また、よろしければ、同じ熊本県内の菊池飛行場での取り組みと保存活動をされている倉沢氏についての記事もご覧ください。

はじめに

 この記事では、各自治体における「町興し」という文脈での「戦争遺跡」の保存活用の取り組みについて、熊本県球磨郡錦町を例として挙げながら述べていきたい。予め断っておけば、私は錦町の戦跡活用の取り組み全体を非難し、論うつもりはない。あくまで、錦町の優れた取り組みの中で少しばかり違和感を抱いた点について考えてみたい。私自身、錦町の方々に案内を請うて遺構の見学をさせて頂き、取り組みについての様々な工夫や苦労をお聞きしてきた。その限りで言えば、錦町で行われている学術的調査についてはもちろん、住民の自発的な参画や行政のサポートなどは極めて優れたものであり、大いに評価に値すると思う。つまり、錦町の戦跡整備事業の9割方について私は肯定的に評価しているわけで、「町興し」単体としてみれば、どうみても大成功の部類と言えるだろう。私は戦争遺跡による町興しを否定するわけではないし、歴史を学ぶ場として観光地化することは必要だと考えている。ただそこには単なる町興し以上の慎重さを要するということが言いたいのである。(錦町での画期的な取り組みについてはコチラの記事(人吉海軍航空基地)を参照して頂きたい。)ここでは、あくまでもその問題点のみを抽出し、建設的な批判に徹しているということを申しておく。
 錦町を選んだは、まず一つ目に、戦争遺跡のレジャーランド化に付随する問題が非常に典型的な形で顕在化しているということ。二つ目に、PRや宣伝、メディアによって得た錦町の取り組みと、実際の取り組みが非常に隔たっているということだ。これについては後で詳しく述べるが、一見するとPRキャラクターなどを用いたポップなプロモーションは、「ふざけている」とか「馬鹿にしている」という印象を与えかねない。とりわけ、慰霊や顕彰を念頭に置いている戦跡の紹介ともなれば尚更である。しかしながら、実際の現場では極めて真剣に調査活用が行われており、決してPRされているような軽々しいものではないのだ。私が一番危惧していることは、他の自治体がこの表面だけを真似て、以下で紹介するような浅薄な手法に基づく戦争遺跡の活用方法が蔓延してしまうことである。
 この記事を読むときはあくまで客観的な報告、ないしは、ある町の戦争遺跡整備事業におけるレポートとして読んで頂ければよいかと思う。以下では、まず問題点は何かということを述べていくが、その上で、読者ご自身で改めて錦町での取り組みの是非について考えてもらいたい。

1. 戦争遺跡を保存活用する意味――携わる人間の姿勢

 現在、錦町において、かつての人吉海軍航空基地を利用した町おこしが行われている。ここには戦時中、予科練の訓練場となった飛行場が存在していたが、町興しと同時進行する形で(もしくは町興しの一環として)戦争遺跡の発掘調査と資料館の整備が行われている。戦争遺跡で町興しするのが悪いという訳ではないが、その際、錦町は「クマリン」というキャラクターを用いてPR活動をしている。たしかに、町おこしのためであれば、昨今流行の「ひこにゃん」や「くまもん」など、キャラクターを利用した広報活動は理にかなっているのかもしれない。しかしながらそれが「戦争遺跡」、「平和学習」、「歴史の継承」などと結びつくとき、そこには問題が生じてしまうことになる。
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▽門柱の隣にある「クマリン」の幟


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 人を集めて金を落としてもらうというのは、人口の激減する地方自治体にとっては急務であるかもしれないし、もし地元に今話題の「戦争遺跡」などがあれば、それを有効に活用していきたいというのも良く分かる。しかしながら、事は非常な慎重を要するのである。というのも「戦争遺跡(太平洋(東亜)戦争に関する遺跡)」というのは、単なる観光名所ではなく、先の大戦における戦没者を初めとする、多くの戦争体験者、戦没者にとっての謂わば「墓標」であり「記念碑」的な意味を有するからである。
 例えば、錦町にもある「留魂碑」について考えてみたい。あまり聞きなれない「留魂」という言葉、これは吉田松陰の『留魂録』冒頭の「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」をはじめとして、西郷南洲の漢詩「獄中有感」の「生死何疑天附與(生死何ぞ疑わん天の賦與なるを) 願留魂魄護皇城(願わくは魂魄を留めて皇城を護らん)」にもあるように、自身の死後肉体が消滅しても、魂をその地に永久に留めんという意味である。日本国内外にある留魂碑とは、その地に縁のある者が戦死した戦友の追悼や顕彰もしくは自分達の敢闘精神の伝承の為に建立したものであり、「留魂」とは文字通り「魂を死後もその地に留め、郁々までその地を守護せん」という意味があるのだ。改めて錦町にある人吉空の碑文を見てみよう。

            人吉空予科練 留魂碑 碑文
大東亜戦争の劈頭ハワイ・マレー沖海戦に航空主兵時代の到来を実証した。帝國海軍は弥々航空兵力の増強充実に力め国内各地に続々練習航空隊が開設せられた 人吉海軍航空隊は其の一つ 昭和十九年二月 球磨郡木上村川辺 球磨の清流に裾を洗わはるる高ン原の大地に開隊 第十八連合航空隊に属し 全国の猛烈なる志願者より選抜採用された飛行予科練習生に整備教育を施し 二十年七月解隊迄に凡そ六千の航空要員を実施部隊に送り出した。顧れば此の一年半の当隊の活動は戦時の速成教育から九州各基地への防衛協力 戦備強化作業の推進更に教育中止後は佐世保鎮守府麾下第二十二連合航空隊に編入せられて 九州各地区の防備に任ずる等時の戦局の推移をそのままに反映したものであり 其の執れにも目覚しい成果を挙げたが 終戦と共に其の施設は今僅かに遺る滑走路の他は跡形もなく消え去った。隊員の当時の真剣な意気込は青春の総てであり 山紫水明の風土 純朴なる人情と共に今も忘れ得ざる所 戦後転じて祖国復興の担ひ手となり苦難の道を歩いて二十六年 今繁栄日本を見る往年ここに学びし予科練有志 人吉会を結成し相謀って此の地に記念碑を建つ 曾て此処に培われし敢闘精神を平和の戦士として倍々祖国の進展に活かさんことを期して也
 
       昭和四十六年八月  元人吉海軍航空隊司令 田中千春撰

彼らの無念さや後世の平和を願う強い意志が伝わってはこないだろうか。戦争が終わり、兵士たちがこの土地を去った後も、その魂はここに留まり続け、今後の行く末を見守っているのだ。「戦争遺跡」がこのように特別な意味を持つ歴史遺産であるということを鑑みた場合、後世これについて調査し、且つ深く考えた者であれば、必然的にそれに関わる遺跡や先人(もしくはモノに対してさえも)「敬意」を抱くはずである。そのように敬意をもって曾ての悲劇を伝えようとする場合、それは必然的に慰霊や顕彰を念頭に置いた方法という形態をとるだろう。古来より日本人は、疫病や災害、戦などで死者が出ると、祠やお宮を建ててその霊を鎮めようとしてきた。これは例えば、広島の原爆資料館や鹿児島の知覧特攻平和会館を思い浮かべてもらえばよいかと思う。これらの施設は、資料館であると同時に、死者を慰霊顕彰する霊廟でもあるのだ。しかしながらこれが町興しという目的に沿って戦跡の整備が行われる場合、如何なる問題が生じてくるのか。
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錦町による取り組みの数々

▽「クマリン」によるインターネット上でのPR活動


▽「人吉球磨秘密基地ミュージアム」建設予定地

来年平成30年度に開館予定。

▽資料館のウェブサイト

キャラ紹介(!?)

クマリンについて:http://www.nishiki-machi.com/docs/2016092700016/

人吉海軍航空基地跡:http://hito-kichi.club

【動画編】人吉球磨は秘密基地 ~人吉海軍航空隊基地跡のご紹介~
http://www.nishiki-machi.com/docs/2015100500013/

人吉球磨は秘密基地 ~人吉海軍航空隊基地跡のご紹介~マンガ編
http://www.nishiki-machi.com/docs/2015081700013/

▽公式漫画の一部(抜粋)






以上は全て公式サイトに掲載されているものである。まずは錦町のWEB上での取り組みに一通り目を通して頂きたい。これらは全て民間の方が作られたようで、それを行政側が公開している。いわば準公式という扱いのものだ。
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2. 球磨郡錦町での取り組み――何が問題なのか

 さて、錦町の取り組みについて考えていきたい。今回、錦町役場の方々には、お忙しい中、お話をして頂いたり、車で現地を案内して頂いた。活動全体においても、住民が主体となって活動しているという点も非常に素晴らしいと感じた。また、学芸員の方が関与しているというだけあり、学術的にも大変充実した調査内容で、見学のための道も整備されていて極めて計画的に「戦争遺跡」を活用していこうという気概が感じられ、非常に感銘をうけたところもある。また、全国にあまり前例のないフィールドワーク中心型の資料館を目指している、ということも興味深いと思った。
 このような画期的な運用が楽しみであり、またその苦労が偲ばれるだけに、このようなキャラクターを利用した展示や広報活動が、展示内容に対してキッチュな不統一感というか、ある種の歪な印象を与えており、また非常に残念でもあるのだ。もちろん、町興しとして見た場合こういう手法はありなのだろうが、戦争遺跡の保存活用に伴う「平和」「慰霊」「顕彰」「戦争」というキーワードとこれが結びつく時、あまりにも悪ノリが過ぎるというか、思慮に欠けるという印象を受ける。もっと言えば、戦没者遺族や戦争体験者に対する配慮や慎重さが欠けているのではないか、という印象も与えかねない。更に、戦争という事態に本来伴う筈の陰鬱で凄惨な雰囲気が、誤解されて伝えられていくことにもなりかねない。問題とはつまり、町興しに付随する客寄せや金儲けの俗っぽい手法が戦争遺跡の保存活用方法と決定的に相反するという点である。町興しの場合は、気軽に楽しく盛り上げるということが主眼となるのに対して、戦争遺跡の保存活用においては、厳粛な態度で慰霊や研究に臨む必要があるからだ。それは決して楽しく愉快なものではない。この場合特に、漫画のキャラクターと平和、慰霊、顕彰というものが同居しているというおぞましさや歪さが違和感に繋がっている。このようなキャラクターを用いたPRは戦争遺跡のテーマパーク化にも繋がりかねないし、現にそうなりつつあるわけで、何でもいいから人を呼べばいいということではダメだろう。漫画にしても、分かりやすければ何でもよいという訳ではない。モノがモノであるだけに、最低限の節度をもって取り組まねばならない。果たしてこのような展示の仕方で「平和教育」や「戦没者の慰霊」を正しく行えるのか。言葉が形骸化してはいないだろうか。展示内容が充実していても、これでは実施している人間の取り組む姿勢に対して疑問を抱いてしまうということにもなりかねない。
 何度も言うが、確かに「町興し」という点から見れば、行政と住民の混然一体となった広報活動は大成功であり、地域活性化に一躍買ったと言えるだろう。しかし、「戦争遺跡」の維持活用という点からみた場合、極めて問題があるという他ない。結局、この二つの要素は単純に一緒にしてはならないのである。一体、誰のために保存し展示するのか、そしてどのように活用していくのかをもう一度御再考願いたいところである。
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▽相良護国神社北側の留魂碑



▽公式パンフレット

この装幀は、うーん、仲間内で読まれるものやアングラなものならよいのですが、これは公式パンフレットとして不特定多数の目に触れるものであるという点も考慮すべきでは。このキャラクターはどうしても必要なのでしょうか。内容が優れているだけに、非常にもったいない。
それに、背景に張られた特攻隊員の遺書の扱いも問題だ。特攻隊員の遺書の上に漫画のキャラクターを載せるのはいいのか。本当に敬意を払っているのか。

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 大刀洗平和記念館や知覧特攻平和祈念館の資料館を見学した後に、こちらのPRパンフレットやウェブサイトに接すると、どうしてもこのような違和感を抱かずにはいられない。これは上でも述べたように、町興しということにあまりに重点を置き過ぎている(あるいはそう見える)が故の違和感であると思う。外部から来る人間は、現場での苦労など知る由もなく、町の発行しているパンフレットや公開しているウェブサイトからしか情報を得ることができないだけに、余計な誤解を生じる恐れのあるPR方法は考え物だ。もちろん、新しい取り組みに際するトライアンドエラーの最中であるとはいえ、特にPR活動にはもう少し慎重に取り組んでいただければと思う。現場の人々が、少ない人数で大変な苦労をされながらも、非常に真剣に取り組んでおられるだけに、広告の段階で生じるこのような誤解が心配だ。
 来年オープンの資料館にしても、知覧や広島、沖縄など、全国の平和資料館が有しているような最低限の基盤は共有しつつも、如何に独自性をだせるかというのが問題だと思う。いずれの施設にしても、一番の目的は「悲惨な戦争を伝える」ことにある。これを抜きにしては平和資料館と称しても片手落ちである。これについては後にまた詳しく述べる。
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▽筑前町立大刀洗平和記念館


大刀洗平和記念館:http://tachiarai-heiwa.jp/

▽記念館のパンフレット

元隊員の講演会や企画展示、フィールドワークを開催している。理想的な取り組みの例である。

▽南さつま市万世特攻平和祈念館


▽パンフレット

慰霊や顕彰を主眼としながらも、当時の追体験ができるような効果的な展示になっている。
いずれの施設においても感じられるのは、死者に対する畏敬の念であり、相応しい丁寧な扱いである。ある種の霊廟のような雰囲気がある。
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 人吉地域での取り組みについて、県内の「熊本の戦争遺跡研究会」という団体から意見が呈されている(熊本の戦争遺跡研究会「人吉海軍航空隊基地跡整備 平和の希求へ(上中下)」、『日刊人吉新聞』平成二十九年五月十七-十九日刊行分。URL: http://www.kumamoto-senseki.net/0-1/index.html)。この新聞記事の論旨を乱暴にまとめてしまえば、要は「もっと慎重に整備事業に取り組むべきではないか」ということである。やはりここでも町興しと戦争遺跡の保存活用事業が無作為にくっつけられている状況を憂えているのである。その点については私も概ね理解できるところであり、錦町の方々が熱心に取り組んでおられるだけに、また多くの人間の注目を集めているだけに、尚更軽々しい(とみなされるような)取り組みを自重していただきたいと切に願うものである。


3. レジャーランド化する戦争遺跡

 以上のようなことは、「戦争遺跡」に対する関心の高まってきたここ数年来、特に懸念されていることであり、実際にこの懸念は同地を初めとして現実のものとなっている。日本の他の地域でも、果たしてこれらの史跡を保存したり活用するということの意味を理解しているのか、甚だ怪しい事例が見られる。とりわけ問題であるのは、昨今様々な自治体で誕生している「戦争遺跡マスコット」である。プロ野球チームでもあるまいし、一体何故マスコットなど必要なのか。戦争遺跡を利用した浅薄なる功利主義が顔をのぞかせている。
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▽加西市鶉野飛行場のマスコットキャラクター「ウズラノ少尉」

金儲けに利用され、テーマパーク化する戦争遺跡の惨状の一端を示している。そもそも戦争遺跡に「マスコットキャラクター」は必要なのか?そういう安易な広報活動はどうなのか。
資金繰りに苦労しているのは分かるが、こういった集客方法はどうなのか。

▽『永遠の0』で有名になった筑波海軍航空隊記念館のウェブサイトより。マスコットキャラクター「友部空くん」と漫画を用いたPR

筑波海軍航空隊記念館:http://www.p-ibaraki.com/tsukuba
これも「町興し」と「戦争遺跡」のキメラだ。ウェブサイトの内容には顔をしかめたくなるものもある。

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昨今、町興し以外にも戦争関連の催しやゲームなども大いに問題を孕んでいる。例を挙げれば、広島の平和記念公園でのイルミネーション、富士急ハイランドでの「瑞雲」模型の展示、軍艦慰霊碑でのピース撮影等、頭の痛くなるような事例が多数ある。話が散漫になるのであまり広げるつもりはないが、これは錦町の問題と同じ素地を共有しており、故にここで少しコメントしておきたい。この様な軽率な行いに及ぶ輩に決定的に欠けているのは、戦死者や戦争体験者からの視点である。そこには生身の人間が関わっていたという現実感が欠如している。このようなことは少し考えれば分かることであるはずだが、彼らの間では全く顧みられていない。ここで元六四三空「瑞雲」搭乗員の予飛13期加藤昇氏(最終的な階級は中尉)の話を聞いてみたい。

▽海軍中尉時代の加藤氏


▽加藤昇氏(左)



  [富士急ハイランドにて瑞雲の模型が展示されるという話を受け]…あ 
  あ、そうらしいですね。どういう団体がやってんのか知らんけども。
  …あのー
瑞雲が展示されるということですけど、遊園地というのはど
  ういうこ
とですか。[ため息]...せめてね、自衛隊の資料館とか博物館と
  か、そうい
うところで展示してほしいですよね。…おもちゃじゃない
  んだから。 
(平成29年6月18日於京都霊山護国神社 講演録より抜粋)

これはほんの一例であるが、この苦言の背後にどれだけの声なき声があることか。ここでいちいち挙げるつもりはないが、この記事を読んで頂いた方には、できればこのような「当事者」の言葉にしばし耳を傾けて、考えて頂ければと思う。私はこの「おもちゃじゃない」という言葉にグサリと胸を刺されたような衝撃を受けた。本当に私たち世代のあまりに軽率な行為の数々に申し訳ない気持ちでいっぱいである。我々戦争遺跡研究会のメンバーは特に、何百人という戦争(戦場)体験者の聞き取りを行い、その声があまりにも生々しく響く位置にいるため、戦争を茶化したような軽々しい扱い方に同意できないのである。戦争はゲームや漫画のような楽しいものでもなければ、架空の話ではない「現実」の出来事であり、悲惨な体験をした方々が実際におられるということ、大勢の人間が無惨な死を遂げているということを忘れてはならない。戦場体験者の誰もが、上層部の人間による無策無能人命軽視の命令による無数の餓死者戦病死者と彼らの無念さについて語り、また銃後の戦争体験者も、一体どれだけの優秀な若者が無為に犬死させられたか、女や子供が如何に惨たらしく死なねばならなかったのかを語る、「これだけは伝えてほしい」と。この、戦争体験者の様々な思いを聞き取り、命令ひとつで死ぬことを強いられ、奴隷のように扱われた人々の声を届けることが平和学習に携わる者たちの使命だ。無数の戦争体験者たちが「これだけは後世に」というこの「無念さ」「理不尽さ」「惨たらしさ」、これを理解せずに「平和教育」だのなんだのと言っても、ほとんど意味がない。「戦争の悲惨さ無念さなんてもうおなか一杯だわ」という意見もあるだろう。しかしそれは単に、「戦争の悲惨さ無念さ」という言葉が同語反復宜しく頻繁に使われ過ぎただけに過ぎない。むしろ改めてその内実について、「戦争の悲惨さと無念さ」とは何かについて思いめぐらす必要があり、それを理解するには多大な労力と時間(ともちろん金も)がかかるのである。大変なことではああるが、彼らの過酷な体験を自分の問題としてよく考え、それを後世に正しく伝えること、そしてあのような愚かな戦争を二度とせぬこと、これがせめてもの敬意の表明ではないか。この無念さを軽視し、三百万余の犠牲を無為にしてよいのか。
 彼ら亡き後、戦争遺跡や平和資料館がその任を負うことになる。それらの「モノ」が彼らの一番伝えたかったことを代弁せねばならない。つまり、戦跡は「無言の語り部」として戦争体験者の代わりに戦争を語る役割を担っているのだ。そうであるだけに、戦跡整備事業には大変な慎重さが必要なのだ。平和資料館が単なる展示場や見世物小屋になってしまわないことを願うばかりだ。
 果たして水漬く屍草生す屍となって見知らぬ地の果てで斃れた方々が、今の世の有様を見たときどう思うだろう。現政権の無能無策ぶりをみた元特攻隊員は、「安心して死ねない」と言っている。今やネットの海には、理解に苦しむような情報が溢れており、また我々の先祖に唾を吐きかけるような行為が至る所で目につく。近年、戦争遺跡に対する関心が高まる一方で、当事者である彼らがあまりにも蔑ろにされてはいないだろうか。既に戦争体験者が高齢となっている今、彼らの声がこれからますます聞こえなくなっていけば、「戦争遺跡」も単なる客寄せのためのテーマパークになってしまい、本来の意味を失っていくだろう。一部ではもう既にそうなっているが。
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▽富士急ハイランドにおいて見世物になる原寸大瑞雲の模型


▽ツイッター上にアップされた写真

運営者も参加者も、これがどういうものか理解しているのだろうか…恐らくガンダムやエヴァンゲリオンなんかと同じようなものだと考えているのだろう。模型とはいえ、そのモチーフとなったものは何なのか良く考えてほしい。
この他にも、軍艦の慰霊碑の前で人形を置いて写真を撮ったり、或いはふざけたポーズをとって記念撮影をしたものがネット上に多数公開されている。例えば「軍艦那珂忠魂碑」などは正視に耐えない惨状を呈している。これもアニメ漫画による観光地化による弊害だろう。死者に鞭打つような蛮行が蔓延っている。

▽大洗磯前神社の「軍艦那珂忠魂碑」に関するツイッター画像の一部

理解不能。以下もネット上に公開されているものだ。

あまりにも悪趣味でグロテスクな絵面に吐き気がする。彼らの行為の中に死者への敬意は感じられるだろうか。これは死者への冒涜ではないか。我々の世代の汚点だ。
そして、この記事を読んでいるあなたはこれをどう思うだろう。あなたに良心はあるか。

このように不遜で罰当たりな行為を目にすると、胃がキリキリと痛む。一体、戦没者やその遺族が上のような愚かな光景を目にしたときにどう思うだろうか。しかし、この様な行為に及ぶ輩にそのような視点は一切存在しない。強いて言えば、「織田信長」や「坂本竜馬」を、漫画やゲームの中でおもちゃにするのと同じような感覚なのだろう。つまり、それらに対する現実感が失われた結果、先祖に対する敬意も失われ、単なる享楽のための記号と化しているのである。彼らが仲間内で絵を描いたりゲームをしたりすることをとやかく言うつもりはないが、最近の目に余る行為の数々は明らかに一線を超えており、最早無視できなくなっている。

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 また、「近年若者の間で高まっている戦争遺跡への関心」という時の「関心」は、必ずしも良い意味ばかりではないだろう。宣伝や広告の際にも、単に「関心」を高めればよいというものではない。漫画等を用いて「親しんでもらう」のもよいが、「親しむ」という言葉についてもっと注意深く考えねばならないだろう。「皆に知ってもらう」「若者をとりこむ」という言葉を免罪符にして何でもやってよいわけではない。若者に関心を持ってもらうという場合にも、そもそも若者が皆漫画やアニメに熱中しているわけでもないし、そういうPRにをして寄ってくる人たちはあくまで限られた層だけだというのを忘れていはいけない。宣伝の仕方如何で、相応の人間がやってくるということを、宣伝する側は念頭に置かなければならない。
 むしろそのようなふざけたやり方に嫌悪感を催す者すらいる。
「漫画のキャラクターを出せば若い人が来てくれる」というのは、あまりにも短絡的で若者をバカにし過ぎではないか。結局、金儲けや客寄せを主目的とした、キャラクター商売を伴う戦争関連商売は碌なことにならないのだ。民間の方が個人でやる分にはよいが、行政がそれに乗っかってしまうと、やはり話が違ってくる。ゲームを入り口にした戦跡の宣伝は、上記の軍艦那珂の人々のような、一部のおかしな連中を呼び込む可能性があるために反対である。戦争遺跡が関わってくる場合、とにかく「話題」になれば万事OKという訳ではない。知覧や広島など、このような手法に頼らず集客している自治体を参考にして、もっと慎重に考えてみてはどうだろう。

おわりに

 これまで散々なことを書き連ねてきたが、冒頭でも述べたように、私は何も人吉地域での「戦争遺跡」の取り組みに水を差すつもりはなく、ましてや取り組み全てを否定するものでもない。ここではあくまで問題点のみを挙げたのであって、錦町での取り組みを全面的に否定するものではないことも再度断っておく。むしろ、僭越ながら提言をするつもりで、もっと言えばエールを送るつもりで、このようなことを申し述べているのである。「戦争遺跡」の保存、活用という問題が昨今において急激に盛り上がってきただけに、多くの自治体において、そのノウハウがまだ蓄積されておらず、試行錯誤しながらやっている途上である以上、このような誤謬はある種仕方のないことかもしれない。もう一度言うが、私はあくまで「戦争」は繊細な問題であることを、改めて考えてもらいたいと思っているのである。太平洋(大東)戦争」に関わる事柄の背後には三百有余万の無念の死を遂げた者たち(或いはまた国外における更に多くの何千万という死者達)がいるということを忘れてはならない。戦争遺跡に関わり、戦争の記憶を後世に伝えていく使命を自覚しているのであればこれを軽々しく扱うべきではないし、とりわけ留魂の先祖に対しては、特別の「敬意」をもって接するべきである。当然敬意をもって接していると思うが、誤解を生むような扱い方はいけない。
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▽相良護国神社


▽「慰霊碑」と「クマリン」


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今の様に町興し的要素を前面に出しながらの観光地化を続行していては、当然ながらその反応として、「熊本の戦争遺跡研究会」から提示されたような意見が、全国各地から送られてくることになるだろう。人吉海軍航空基地を全国的に知ってもらいたい、来て実際に見てもらいたいというのであれば、遅かれ早かれ再検討せねばならない問題であると思うので、「パヨクの戯言」などとレッテルを張って一蹴せずに、出来ればよく考え、早めに対応する方が良いのではないだろうか。何故そのような指摘がくるのか、という原因を考えないと、同じような指摘が何度も繰り返されることになる。またその際、後顧の憂いを残さぬように、地元の有志らと意見交換会を催すなどして、じっくりと話し合ったうえで今後の対応について考えてみてはどうだろうか。それに、「戦争の日常」を伝えることは必要だが、平和学習や平和教育というのであれば、上でも述べたように戦争の陰惨さ抜きに平和教育は成立しない。またもし仮に全国展開を目指すのであれば、「俺たちが楽しくやってんのに余所からごちゃごちゃぬかすな!」という態度ではダメだろう。有名になれば何でもいいという訳ではない。英語でPRなどする前に検討すべきことがもっとあるのではないだろうか。既にやっているかどうか知らないが、まずやらねばならないのは、毎年恒例の人吉海軍航空隊の慰霊祭を町が後援し、住民の参加を促すことである。そして戦友会や遺族会と連携をとりながら、色々なことに取り掛かるべきだろう。戦跡は発見者や研究者だけのものではない。当事者抜きには考えられない。
 また、少人数でやっておられるだけに、外からの色々な「声」にも耳を傾けるということも必要ではないだろうか。どうしても風通しが悪くなると、気付かない部分で色々な「粗」が出てくる。また、協力的な地元の方の支援をする(あるいは受け入れる)場合は、無条件でそれらを流用することは避け、きちんと精査せねばならない。民間と行政が混然一体となって協力することは素晴らしいが、行政が民間に取り込まれてしまってはいけない。色々な点で、行政がきちんと線引きをすべきだろう。いずれにせよ、色々な柵があり、また大変な苦労があるということは御拝察するが、もっと今以上に慎重になっていただければと思う。
 キリがないないので、この辺で老害ならぬ若害の戯言は終わりたいと思うが、私が何故このような記事を書いたのかというと、繰り返しになるが、本来戦争遺跡に携わる者たちが共有しているはずの大前提がここではすっぽりと抜け落ちているように思われて、それについて危機感を覚えたからに他ならない。戦跡や平和学習に関わっておられる方なら、何を今さらと言われるようなことである。
 また最後に付け加えておけば、戦争遺跡の価値を理解せず、無下に破壊したり撤去したりするような余所の自治体がほとんどである昨今、錦町の人々は遥かに意識的に、しかも住民が主体となって、自治体と協力しながら「戦争遺跡」の問題に取り組んでいる。私が実地にて見聞した限りでは、その学術的な成果は特筆すべきものである。これについては当然称賛されるべきであることは言うまでもない。来年オープン予定の「人吉球磨秘密基地ミュージアム」も、どのような資料館になるか非常に楽しみである。

                             平成二十九年八月二日    

ご意見ご感想ご質問お待ちしております。
コメント欄か yukio0118(あっと)gmail.com までお願いします。

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2017/10/22

この記事が書かれてから、ツイッターのメッセージやe-mailで様々なご意見やご感想をいただきました。
誠にありがとうございました。折角ですので、多かった質問など質疑応答の一部をご紹介したいと思います。(尚、質問文の文言は一部短縮するなどして分かりやすいようにしました。寄せられた中で誹謗中傷や理解不能なもの、重複しているものは省きました。)

Q:ブログ拝見させていただきました。非常に重い歴史的事実の紹介の仕方としては果たして妥当なPR方法なのか、という点には私も疑問を抱きました。確かにこれは、田舎によくある何でも萌化して耳目を集めるというPRの手法で、ありきたりな感じはしましたが、ただ、それが果たして戦争体験者や戦死者への侮辱にまでいたるのか、とも思いました。(NYさま)

A:ご意見ありがとうございます。これは記事の中でも書きましたが、例えば広島の平和祈念資料館に「原爆くん」とか、いうマスコットがいた場合、あるいはポップな漫画などで照会された場合、被爆者や原爆による死者の方々はどう感じるだろうか、ということを少し考えればよく分かるとおもいます。それで、加藤氏の例を出しました。特攻記念館にも沖縄の平和記念にも靖国神社の遊就館にもマスコットやポップな漫画の紹介はありませんが、それは何故かを考えていただければと思います。

Q:戦跡の観光地化を危惧しておられるようですが、自治体にとっても、訪れる人にとっても観光地化して知ってもらうのは良いことだと思うのですが。(Aさま)

A:ご意見ありがとうございます。記事をちゃんと読んでいただければ分かりますが、我々は観光地化自体に反対するものではありません。むしろ積極的に観光地化して人を呼ぶべきだと考えています。つまり、歴史を学ぶ場として広島や知覧のような形で利用されるべきだと考えています。問題は、その手法です。例えば、遊園地なんかをPRするのなら、マスコットキャラクターなんかもいてもいいと思うんですが、実際に戦死している人がいる場所を紹介するのに、果たしてこういう手法は正しいのか、というのが問題なんです。ゲームはゲームであり、現実と混同させることは良くないと思います。一言で申しますと「人が死んでんねんで」ということです。

Q:戦争という歴史をあまりに否定的に取り過ぎてはいませんか。戦争の捉え方は百人百様だと思うのですが。慰霊だけが戦争の解釈ではないと思います。(匿名さま)

A:ご意見ありがとうございます。もちろん色々な立場の方が百人百様の体験をされたわけですが、私が話を聞いた戦争体験者の方で、「もう一回戦争をしたい」とか「戦争はとても楽しかった」という話は聞いたことがありません。もちろん、戦争を体験した世代が戦争を総括した際に、皆が一様に「戦争はいかん」と述べているわけですから、むしろ近代戦を肯定的に捉えようとする方が無理があるのではないかと思います。
 慰霊だけが戦争の解釈ではないということですが、ここでは確かに慰霊と顕彰という観点で考察を行ってきましたが、それは、ここでの取り組みにあまりに慰霊という視点が欠けていると感じたからに他なりません。軍艦の慰霊祭などをやっておられるそうですが、人吉にある相良護国神社や地元の戦没者遺族会との連携の方が先ではないでしょうか。もうやっておられるのでしょうか。

Q:私は艦これユーザーですけど、戦死した人を侮辱するつもりもないし良心もある。ゲームをやったことがないなら、余計な口出しはしないでほしい。(不明:ツイッターメッセージにて)

A:ご意見ありがとうございます。今回はあくまでネットゲーム界隈の不貞な輩を紹介するつもりで、ツイッター上の画像を使いましたが、その結果としてそのゲーム関係のものが多くなってしまったというまでです。最初からそのゲーム自体を否定するつもりはありませんでした。ゲームに興じている人皆を批判するものでは当然ありません。しかし、やはりこれだけ問題行動を誘発するゲームというのは、大いに問題があると思います(もちろんプレイヤーに問題があるわけではありません)。それに、扱っている題材の重さと脱衣麻雀の様なコンピューターゲームのギャップに違和感を感じませんか?その軍艦に乗っていて死んだ人がいることなどを忘れてはいませんか。現実の戦争はゲームではありません。それをきちんと分かったうえでゲームをやっているのであればいいのですが、一部に現実とゲームの境界が壊れているような人々がおり、この記事では、それらの不貞な輩を問題ありとして取り上げました。つまり、ゲームの世界と現実の世界をごっちゃにして、死者を侮辱するような行為に及んだ連中を批判したわけです。一人で楽しんだり、仲間内で遊ぶむものなら何とも思いませんが、実際の慰霊碑や神社を傷つけるような行為に及ぶ場合、とても看過できません。彼らが仲間内で楽しくやっているなら我々も文句を言いませんし、そもそもこちらに口を出す資格などありませんが、軍艦那珂慰霊碑における墓荒らしに等しい行為など、度を越したことをすると無視できないのです。つまり、ゲームをゲームとして楽しんでおられるのであれば、私どももこういう取り上げ方はしませんし、仲間で集まって楽しくやればよいと思っています。つまり当然ながら、全然問題ないと考えています。要は、問題なのは、上で少し取り上げたような、ゲームと現実の区別がついていないような人たちなんです。できればもう少し分別をもって頂きたいものです。要は、住み分けがきちんとなされることが大事なのです。


Q:役場の方が頑張っておられるのだから、あまり否定的なことを書いて人吉の印象を悪くするのはやめてほしい。(匿名様)

A:ご意見ありがとうございます。役場の方には案内などしていただいて、大変お世話になりました。また戦跡の保存活用についても、官民一体となって超人的な働きをされていて(しかも限られた少人数で)、とても感銘を受けました。錦町さんがやっておられる素晴らしい戦跡保存事業の中で、少し問題がある――と私が思った――一部のPR手法についてうーんと思ったので、こういう記事を書いたのであって、町での取り組みを全否定する意図がないことは記事を読んでもらえれば分かります。むしろあのようなPRで否定的な印象が全国に広まって誤解されてしまうことを私は心配しているから、こういう記事を書いたんです。一言でいえば、「こういう宣伝の仕方では誤解されるんじゃないか」ということです。この記事で書いていることも、誠に僭越ながら、ほとんど現地で担当の方とお話したことです。予算面、人員面でとても苦労されているという事はよく分かっていますし、それにもかかわらず大変な成果を収めていることも知っています。記事を読めば、誹謗中傷するようなものでないことはすぐわかると思います。
 民間の方がマスコットキャラクターをデザインされたり、漫画を描いたりしておられるということですが、それ自体はとても素晴らしいことですし、郷土史家の方が個人でされることは良いことだと思うのですが、それがひとたび公式のものになってしまうと、話は変わってきます。つまり、きちんと精査されたうえで、適切かどうかを吟味せずにそのまま公式マスコットにして漫画や資料館のホームページに張り付けてしまうと、町全体の方向性がこういう浅薄で思慮の浅い感じなのかと受け取られてしまうからです。それは実際には、非常に堅実に精力的に保存や活用をやっている錦町にとっても不本意なことではありませんか?ですから「悪ノリ」という言葉を使ったのです。何度も申し上げていますが、これは思想云々ではなく手法の問題です。個人がやってきたことを行政がバックアップするのであれば、あくまで非公式なものとして扱うべきでしょう。そこに税金が投入され、批判的に検討されずにそのまま公式的な扱いを受けるようになると、不本意ながら、公式マスコットや公式ウェブサイトに採用する場合、結局それを生み出した民間の方が批判の矢面に立たされることになります。漫画やマスコットなどのサブカルチャーは非公式であるからこそ許容されるというものです(ふなっしーとかがそうですね)。だから、こういうのもあります、ぐらいでとどめておいた方が良いと思いました。そのぐらいであれば、我々もわざわざ論うこともありませんでしたし、新聞に投書された方のように問題に思う人も少なかったと思います。協力体制とは一方的に乗っかるだけではだめです。やる気のある民間の方がいるなら、そちらの方に丸々任せるのではなく、せめて行政のフィルターを通すべきでしょう。フィルター自体がダメならもうおしまいですけど。いずれにせよ、どういう活用の仕方が望ましいのかということは、これからも考えていかねばならない問題だと思います。
 そもそも人吉はとても風光明媚な良いところでしたし、ぜひまた訪れたいとも思っています。今回は調査が目的でしたが、次回は観光名所や、完成した資料館なども機会があれば訪れたいと思います。 

Q:ゲームを入り口にした戦争や歴史の理解が盛んになっている点も評価できませんか。(とても多かった意見)

A:もちろん、ゲームをきっかけに興味をもって調べるようになった人も身近に大勢おられますし、事実、そのようなブームが起爆剤になって関心が高まってきたと言えます。きっかけづくりとしては、多くの人間を取り込んでいることは事実です。
 問題は、現実をよく知ったうえでゲームをするのと、ゲームで知ってから現実に干渉するのとでは大きな差があるということです。ゲームから入った層は、どうしてもゲームのことを土台にしながら現実に干渉していきますから、私は必ずしも良いとは思えません。つまり、無意識に戦争は「楽しいゲームの世界」を土台にしながら戦争について学ぶというのは、学ぶための準備姿勢としては不適切だと思うからです。
 そもそも学ぶための目的が不純なわけですから、結局ゲームの世界と現実の区別もろくにできないような連中(慰霊碑の前でポーズをとるなど)がでてきてしまうのです。ゲームを入り口にして、きちんとした研究調査に取り組んでおられる人ももちろんおられますが、そういう意識的な人たちは私の知る限りごく限られており、大半の人間は中途半端なままに「戦争や歴史に対する理解」をすすめてしまい、つまりゲームの延長として戦争を捉え、戦跡の損壊や不遜な行為に及ぶわけです。これはもちろん、「ゲームや漫画を入り口にした戦争理解」が多くの不遜な人間を生み出したということが問題なのであって、ゲームや漫画で戦争について携わるようになった人皆を批判するものではありません。戦没者供養や戦跡整備にゲームを持ち出して来るような人が、果たして、戦争についてよく考えているとか英霊に敬意を払っているといえるでしょうか。こういう分別のない人々を生み出し、愚かな行為を誘発する培養土になりうる(現にそうなっている)、という意味でゲーム、漫画を入り口にするのはどうだろうか、ということです。

 要は、何度も申し上げておりますが、ゲームやアニメを入り口にして関心を持った方で、理性的にふるまえる方つまり仮想と現実の区別をつけられる方ばかりであれば良いのですが、現状、必ずしもそうでないということ(慰霊碑の前でグッズと記念撮影、慰霊祭に場違いな服装で出席など)から、あくまで、こういうPRは控えるべきではないかと申しているのです。おかしな宣伝をすれば、変な奴も来ます。


引き続きご意見ご感想お待ちしております。できれば一読したうえでコメントくださると幸甚です。

また、よろしければ、同じ熊本県内の菊池飛行場での取り組みと保存活動をされている倉沢氏についての記事もご覧ください。
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コメント

1. 無題

戦争遺跡に安易なキャラクターの配置は私も見直した方が良いと思います。
この記事で紹介されている那珂の慰霊碑の写真は嫌悪感が出るほど酷い。
海軍墓地や戦争遺跡で安易にアニメキャラを利用するのは反対です。
仮に利用するのであればどういった経緯で作られ、どんな意図や思いが込められているのか説明できなければ駄目だと思います。

あとこの記事はアニメや漫画、ゲーム憎しという感情が強すぎませんか?
戦争遺跡が有名になって多くの人の目に留まるようになれば、おかしな人は増えるし目立ってしまいます。
それは何がきっかけでも変わりません。
慰霊の場で有ることをわきまえた上で訪れるのであれば、
そのきっかけは何であっても構わないと考えています。
私は親族が海軍で戦死しており、慰霊碑や慰霊祭に何度も足を運んでいます。
そこで漫画やゲームがきっかけでその存在を知ったという方々とも出会いました。
彼らの中には慰霊碑の清掃ボランティアを行なったり、元乗組員の方へ戦争体験を聞きに行ったり、慰霊行事や遺族会の手伝いを行うようになった、という人も多く居られましたよ。

2. 無題

NONAMEさま
記事を読んでいただき、またとても興味深いコメントまで頂き、ありがとうございます。

・「戦争遺跡に安易なキャラクターの配置は私も見直した方が良いと思います。
この記事で紹介されている那珂の慰霊碑の写真は嫌悪感が出るほど酷い。
海軍墓地や戦争遺跡で安易にアニメキャラを利用するのは反対です。
仮に利用するのであればどういった経緯で作られ、どんな意図や思いが込められているのか説明できなければ駄目だと思います。 」

 仰る通りです。私も安易なマスコットの使用は控えるべきかと思います。錦町の場合は、住民の発案により公募で決定したそうですが、単なる町興しキャラクターでない以上、せめて行政はもっと慎重にやるべきであったと考えています。ですから記事の中では「悪ノリ」という表現を用いました。
 戦争遺跡マスコットを使用している自治体は他にもありますが、どれもマスコットを使用する必然性が感じられません。レジャーランドでも作るつもりなのでしょうか。原爆資料館に「ゲンバクくん」なんていうキャラクターがいたらどう思われますか?悪趣味だと思いません?そもそもそういうふざけたものを戦争体験者や遺族が目にしたらどう思うでしょう?そういう視点が彼らには欠けていると思います。

・「あとこの記事はアニメや漫画、ゲーム憎しという感情が強すぎませんか? 」
 ご指摘の点につきましては、この記事があくまで「問題点」のみを扱ったものであるということを御留意願います。こうの史代氏の『この世界の片隅に』や中沢啓治氏の『はだしのゲン』など、戦争を扱ったもので、優れた、文学的な漫画やアニメ作品もありますし、全国各地の遺族会や戦友会でも、漫画やアニメを用いた戦争体験の継承ということに取り組んでおられます(ただ、対象者は幼稚園児や小学生ですが)。一応述べておきますが、私は決して漫画やアニメ、ゲーム全てを否定しているわけではありません。あくまで一部の「不適切な」、つまり「敬意に失する」漫画アニメ、ゲーム作品と、それを用いて金儲けを企む主催者、それから誘発され、軽率な行動をとる不貞な輩を非難しているのです。「憎し」という印象を与えるのは、そのような理由だと思います。ゲームや漫画を仲間内で楽しむ限りでは、こちらがとやかく言う資格はもちろんありませんが、最近その一線を越えた例がちらほらあり、無視できる水準を超えていると感じたので、それを書いたまでです。

・「慰霊の場で有ることをわきまえた上で訪れるのであれば、 そのきっかけは何であっても構わないと考えています。 」
 弁えた上で訪れるということであれば、当然動機は不純でも、と思いますし、もちろんアニメや漫画が戦争を知る入口にもなることがあるでしょう。が、行政側が特定の層を狙った宣伝をやるのはどうなんだ?というのが本記事の主旨です。行政側は、「幅広い年齢層」や「若者」に来てもらうことを公言しながら、特定の層に向けたPR活動を行っています。これは大変な矛盾です。宣伝の仕方如何で、やって来る人々の層が大分変ってくるのです。例えば、新聞を読んだり、学校の授業の一環で興味をもってやってくる人たちと、ゲームや漫画を通じて「聖地巡礼」感覚でやってくる人たちが、同じ目的を持って、同じ事前知識を有する人達だとはとても思えません。
 下卑た宣伝をすれば、相応の人間がやってきます(もちろん全員がそうだという訳ではありません)。例えば大洗などのアニメで町興しをやった地域での惨状を目にすると、素直に「キッチュ」なアニメ漫画による宣伝を導入すべきかどうか考え物ですね。戦争遺跡はある種の霊廟的なものでもあると思っていますから、とにかく安易な集客方法によって、たちの悪い連中が大勢来て、貴重な遺構が破壊されたり荒らされることが怖いのです。特に、影響力のある行政側が宣伝をする場合、人を呼べればきっかけは何でも良いというものでもないと思います。確かに、きっかけづくりは難しい課題ですが、単なる町興しではない以上、安易な方に流れてはいけないと思います。

・「そこで漫画やゲームがきっかけでその存在を知ったという方々とも出会いました。
彼らの中には慰霊碑の清掃ボランティアを行なったり、元乗組員の方へ戦争体験を聞きに行ったり、慰霊行事や遺族会の手伝いを行うようになった、という人も多く居られましたよ。」
 もちろんそういう人もおられるでしょうが、「ゲームや漫画で知ったから、慰霊に来た」ということは、わざわざ人前で敢えて言うことでもないのでは。そういうことを聞くと、まあ、ちょっと「あれ?」と思いますね。そういうことは出来れば胸の内に伏せておくべきかと。これは単なる感覚の違いだと思いますので、正しいとか正しくないとかいう話ではありませんが。いずれにせよ、ゲームや漫画を入り口に興味を持つようになる人がおられるのは事実だと思います。

意見どうもありがとうございました。

3. 無題

私も艦これというゲームで戦争の歴史や旧海軍の艦艇に興味を持ったのですが、実際にどこかに赴くわけでもなく、やったことはせいぜいWikipediaの記事を読み流す程度。
キャラクターに擬人化してしまっているせいで、艦名を聞いたらキャラクターの顔が真っ先に浮かぶ始末です。こんなの漫画のキャラクターの名前と顔が一致するのと何ら変わらない。
それだったらもう史実とかきれいさっぱり忘れて、ただの艦名を使っただけのキャラクターでそれ以上でもそれ以下でもないんだと思うようにしました。
しかし先日、艦これの運営が「鎮魂」や「祈り」という単語を口にして自らゲームと現実の境界線を壊すようなこと言ってしまいました。
せっかくゲーム内だけにとどめておこうと思っていたのに、運営自身がゲームと現実の境界線を曖昧にしていて残念に思います。

4. 無題

偏った内容で、マスコミの誘導記事と同じと感じました。
その考えだと、神社や原爆ドームなどで記念写真でピースサインして撮っても駄目だと言いそうですね。
否定的な考えだけでなく、肯定的な考えの意見も書いたほうがいいと思います。
この書き方では、部分的に切り取って都合の良い解釈してると言われても不思議ではありません。

戦争遺跡のキャラクター採用についても、敷居を下げるという点では間違いではないと思います。
施設を作ったとしても、誰も見向きもしない物は無駄な物で終わります。
その施設へ興味を持たせる事を考えれば、悪い考えではないと思います。
大人目線で考えれば不敬かもしれませんが、子供にも興味を持たせるという考えであれば悪くはないと思います。
何事も堅苦しい大人目線での考えでは、子供は興味を持ちません。
先の未来を担うのは子供です。
その子供が興味を持つような事をする事で、未来へと語り継がれるのだと思います。
この子供に興味を持たせるという意味で、キャラクターを採用して敷居を下げる事が愚作とは思いません。
歴史を語り継ぐ事を重視するなら、そんな堅苦しい考え方では無理だと思いますよ。
何事も柔軟な考えが必要だと思います。
偏った考え方の押し付けは、私個人としては賛同しません。

5. 無題

私はゲーム「艦これ」から来たものなので、多少身内贔屓があるかもしれません。最初に断らせて頂きます。

上のコメントNo.2において、一部のゲーム等に対して「不適切」「敬意に失する」という表現をされていますが、これは「艦これ」などのゲームには「故人に対する敬意」が「本来あるべきなのにそれを無くしている」という意図で書かれたものと読み取りました。これに関してなのですが、
「艦これ」というゲームから故人への直接的な敬意を読み取るのは難しいと私も思います。しかし、単なる1ゲームに、「故人を貶めるような表現の撤廃」を求めるのならともかく、「題材として取り上げた事物にかかわる故人への敬意」を求めるのは過剰なのではないでしょうか。
例えば、あなたは、将棋が取り上げられた(村山聖に対する侮蔑的表現を入れていない)ゲームに対して、「村山聖に敬意を払う表現を入れるべきだ、入れるのが本来の姿であり、入れないのは不適切である」と考えることはないと思います(コアな比喩で申し訳ありません)。

また、あなたは『「艦これ」等が現実とゲームを混同する分別のない人々を生み出し、愚かな行為を誘発する培養土になりうる(現にそうなっている)ので、「艦これ」を入り口にするのはどうだろうか』という考えをお持ちのようですが、これに関して
「ゲームと現実を分けて考えられない人が出てきている」から「そのような人を生み出すゲームが悪い」というのは些か乱暴なのでは、と感じてしまいます。もちろんそのような状態は改善されるべきだとは思いますが。
悪いものを生み出す元凶が一律に悪いかどうか、という問題に関する見解の相違でしょうから平行線になるでしょうが、少なくともコメントNo.3にあるように、「艦これ」運営には故人への敬意があるようなので、要望を出されてはいかがでしょうか。「悪い」と切り捨てるのは少しばかり疑問があります(要望を提出したが音沙汰がない、ということならば申し訳ありません)。

自分も、戦争中に悲劇が起こった場所でのピースサインを見ると腹が立ちますし、この記事の主旨については同意しております。それだけに、(上で申し上げた通り、私にはあまり適切な批判だとは思えない)ゲームの批判によって、無用な反感を買うのは勿体無いと感じてコメントいたしました。オタクが「俺らが偏見を持たれるのはAというコンテンツのオタクのせいで、そのキモオタを生み出しているAというコンテンツも悪い!」というのは、心情的には理解されますが同意は集めませんので。

ちなみに昨日から急にコメントがきているのに多少驚かれているとお察ししますが、これは、ゲーム「艦これ」のまとめサイトにて、加藤氏のこの発言の紹介にこのサイトが引用されたからだと思われます。
そのついでにお伺いしたいのですが、この記事に(平成29年6月18日於京都霊山護国神社 講演録より抜粋)とありますが、この講演録はネット上に上がっていない、この会での頒布資料のようなものでしょうか。お答えいただけると幸いです。

6. 無題

コメントNo2はこちらのブログを編集された方という事で良いのでしょうか。

大洗のような「惨状」という表現をされていますが、東日本大震災での震災を受け、あそこまで復興する為の不断の努力を「惨状」という言葉を使って切り捨てるのでしょうか?

7. 無題

編集者さんは「艦これが分別のない人を生み出す」と言いたいのではなく「艦これという入り口は分別の無い人までもが戦争に興味を示してしまう」と言いたいのでは無いでしょうか?
余りにも広すぎる入り口は考えものだと思います
皆が皆まで戦争の歴史に興味を持つがいいことだとは思えません 例えば右翼拗らせたような人までもが知ってしまったら碌でもないことになると

8. Takuya・H

実際今そのアニメで戦没した船がTVの前の貴方と結婚式をするっていう
あり得ないシチュエーションが放送され現実とゲームを混同する分別のない人々を生み出し
ゲーム内で出てくる戦没者を罵倒中傷する画像が流行ったりという状況が続いていますから致し方ないとも思いますね

9. お返事 皆さま、コメントを頂きありがとうございます。


3. 名無しさま、コメントありがとうございます。
名無しさま ご意見どうもありがとうございます。 そのゲーム会社の運営が具体的にどういったことを言ったのかは存じませんが、今になって取って付けたように「鎮魂」だのなんだの言い出したとすれば、少し白々しい感じがしますね。むしろ「何故ユーザーの興を削ぐようなことを言うのか」という名無しさんのお気持ちもお察しします。おっしゃるように、ユーザーがゲームをゲームとして楽しめるよう運営側が配慮するべきかもしれません。
個人や仲間内でゲームを楽しむことと、それを無作為に現実に持ち込むこととの間には大きな差があります。我々は後者を問題視しています。 キャラクターゲームを通じて戦争に関心をもって、それについて色々調べたり、その場を訪れること自体は良いことでしょうが、そういった人々皆が真剣な気持ちで勉強のためにその場を訪れるわけではない、ということは、すでに各地で見受けられる様々な悲しい事例(供養祭にキャラクターグッズ、戦跡でコスプレなど)を見ても分かります。また、残念なことに、戦跡や資料館を「守っていく」立場の人々にも、少しく思慮が欠けるのではないかと思われる例もみられます。果たしてそれは、戦争の当事者にも見せられる、ふさわしい紹介の仕方なのかをもう一度考えていただければと思います。紹介の仕方如何のせいで、折角の貴重な研究成果が不当に評価されてしまうことは本当に残念です。 それに関わった方で存命の方や遺族の方がまだおられるわけですから、その方々が不快な思いをするような行為は絶対に看過できません。また、それはもちろん関係者がみんな死んでしまえば何をやってもいいという訳でもありません。あれだけの犠牲が出た凄惨な戦争は、簡単に娯楽として消費してしまうものではないとも思っています。
このゲームに関して言えば、私のような部外者が何を言ってもどうにもなりませんから、どうか名無しさんのような理性的な方が、ファンの皆様同士で声を掛け合って、行き過ぎた行為をする人々を自制するよう働きかけて下さればと存じます。また、折角関心を持っていただいたのですから、折に触れて少しずつでも色々なことを調べて頂ければと存じます。

よろしくお願いします。

4. NONAMEさまコメントありがとうございます
NONAMEさま ご感想ありがとうございます。 「偏った内容で、マスコミの誘導記事と同じと感じました。 その考えだと、神社や原爆ドームなどで記念写真でピースサインして撮っても駄目だと言いそうですね。 否定的な考えだけでなく、肯定的な考えの意見も書いたほうがいいと思います。 この書き方では、部分的に切り取って都合の良い解釈してると言われても不思議ではありません。 」
原爆ドームの前でピースサインするのは、ちょっとどうかなあと思います。 肯定的な意見も併記する方が良いということですが、まず、記事の冒頭でも述べましたように、錦町での先進的な取り組みの数々(官民共同、フィールドワーク中心型の戦跡整備など)については、「人吉海軍航空隊」http://senseki.kyotolog.net/%E7%86%8A%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E9%81%BA%E8%B7%A1/%E4%BA%BA%E5%90%89%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E5%9F%BA%E5%9C%B0_31にて既に紹介させて頂きました。
「戦争遺跡のキャラクター採用についても、敷居を下げるという点では間違いではないと思います。 施設を作ったとしても、誰も見向きもしない物は無駄な物で終わります。 その施設へ興味を持たせる事を考えれば、悪い考えではないと思います。 大人目線で考えれば不敬かもしれませんが、子供にも興味を持たせるという考えであれば悪くはないと思います。 何事も堅苦しい大人目線での考えでは、子供は興味を持ちません。 先の未来を担うのは子供です。 その子供が興味を持つような事をする事で、未来へと語り継がれるのだと思います。 この子供に興味を持たせるという意味で、キャラクターを採用して敷居を下げる事が愚作とは思いません。 歴史を語り継ぐ事を重視するなら、そんな堅苦しい考え方では無理だと思いますよ。 何事も柔軟な考えが必要だと思います。 偏った考え方の押し付けは、私個人としては賛同しません。」
戦跡整備のモデルとしては、九州であれば、大刀洗や宇佐などの資料館のような展示が望ましいと考えています。 もしどなたかが戦跡整備におけるキャラクターPRの可能性について述べている記事などがあれば、ぜひ紹介して頂きたく存じます。私も戦跡の整備に柔軟な発想は必要だと思います。それらをふさわしい形で紹介し、守っていくこともまたそれに携わる者の務めであると考えています。そして柔軟であることと早計であることは違うと思います。
それから、この記事がどこでどういう紹介の仕方をされたのかは知りませんが、この記事は「我々がこう思う」という、単なる意見発信ですから、別に考えを押し付けているわけではありません。 いずれにせよ、この記事をたたき台として、今後より良い戦跡整備の在り方が模索されればと思っております。
「こんな風に考える人もいるんだなあ」ということを頭の片隅にでも置いといてもらえればと思います。 よろしくお願いします。

5,NONAMEさま、コメントありがとうございます。

どうも記事を読んでいただきありがとうございます。
一つ目のご質問ですが、
「上のコメントNo.2において、一部のゲーム等に対して「不適切」「敬意に失する」という表現をされていますが、これは「艦これ」などのゲームには「故人に対する敬意」が「本来あるべきなのにそれを無くしている」という意図で書かれたものと読み取りました。これに関してなのですが、
「艦これ」というゲームから故人への直接的な敬意を読み取るのは難しいと私も思います。しかし、単なる1ゲームに、「故人を貶めるような表現の撤廃」を求めるのならともかく、「題材として取り上げた事物にかかわる故人への敬意」を求めるのは過剰なのではないでしょうか。
例えば、あなたは、将棋が取り上げられた(村山聖に対する侮蔑的表現を入れていない)ゲームに対して、「村山聖に敬意を払う表現を入れるべきだ、入れるのが本来の姿であり、入れないのは不適切である」と考えることはないと思います(コアな比喩で申し訳ありません)。 」
我々はそのゲーム自体を批判する為にこの記事を書いたのではなくて、ゲームと現実を無作為に混同するようなやり方を批判しているのです。ゲームを個人や仲間内で楽しまれている方を攻撃するものではありませんし、そもそも戦争ゲームそのものに倫理性を求めたり、個人への敬意を求めたりはいたしません。ゲーム批判、またゲームユーザー全体を批判することが主意ではないことを改めて申しておきます。この記事では、ゲームやキャラクターを使ったPRをするとこういう問題が実際に起きるのでは、という例としてあげました(すでに各地で問題が起きているわけですが)。
それから、村山聖さんという方を存じ上げなかったのですが、かなり若くして亡くなっているようですね。20代で亡くなるとは、本当に気の毒に思います。やはり才能ある人間は早死にする運命にあるのでしょうか。その点、私などは天寿を全うすることになりそうですが。
二つ目の質問について、
「また、あなたは『「艦これ」等が現実とゲームを混同する分別のない人々を生み出し、愚かな行為を誘発する培養土になりうる(現にそうなっている)ので、「艦これ」を入り口にするのはどうだろうか』という考えをお持ちのようですが、これに関して「ゲームと現実を分けて考えられない人が出てきている」から「そのような人を生み出すゲームが悪い」というのは些か乱暴なのでは、と感じてしまいます。もちろんそのような状態は改善されるべきだとは思いますが。悪いものを生み出す元凶が一律に悪いかどうか、という問題に関する見解の相違でしょうから平行線になるでしょうが、少なくともコメントNo.3にあるように、「艦これ」運営には故人への敬意があるようなので、要望を出されてはいかがでしょうか。「悪い」と切り捨てるのは少しばかり疑問があります(要望を提出したが音沙汰がない、ということならば申し訳ありません)。 」
No2のコメントにおいて、「学ぶための入り口は何であっても一緒です」という発言があったので、それに対する回答として「私はそうは思いません」という趣旨で「入り口としてはふさわしくない」と述べました。
貴殿は恐らく誤解されているようですが、「戦争について学ぶ際の入り口としてふさわしくない」ということが、そのまま「ゲーム自体が悪である」という意味にはならないと思いますが。私は、おかしな人を生み出す培養土になっているというリスクがある以上、戦争を知るための入り口としてはふさわしくないと申しました。それがひいては戦争ゲーム自体の批判にまで至るわけではないと思います。この記事が終始批判的なトーンなので誤解されたのかと思いますが。記事のどこかで「悪い」と申しましたでしょうか、えー探したんですけど、ちょっと見当たりませんでした。私は、艦これが培養土になっている、つまり「原因」になっているということは言いましたが、だからゲームも「悪い」と言うつもりはありません。「結果」を見た場合に、これが「原因(誘因)」だったという話です。まあ、問題行動を誘発するある種のきっかけになったという意味です。おかしなことをするのは、その人自体がおかしいからに決まっています。

我々の問題提起は「人がくれば何でもいいのか」ということです。
これについて、結果として「関心を持つ人が増えたからそこを認めるべきだ」という、肯定的な面を見る意見と、我々のように「問題行動を起こす人が増えたことを問題視する」人々がいるわけです。貴殿は私以上によく記事を読んでおられるようですので、無駄な解説は不要かと思いますが、我々は「「艦これ」に限らず、ゲームやキャラクターPRによる戦跡や資料館の紹介が、果たしてそこで実際に起こった出来事のふさわしい紹介の仕方なのか疑問に思っています。そして、記事で書いたように、どうやって戦争について関心をもつのか、ということは、その後の方向性を決める大事な問題だと思っています。
 多くの方から、「キャラクターとかゲームを通して戦争に興味を持つ人もいます」という意見をたくさん頂いています。確かにそれは、町おこしとかテーマパークのPRとしては適当な方法だと思うのですが、ただ、それをそのまま戦争遺跡のPRに使ってよいのか、と思います。そして実際に、そういうゲームキャラクタールートで入ってこられた方が、記事で紹介したような問題のある行動を起こしているわけですから、(またそれに遺族や当事者が眉をひそめている以上)、そういうことに眼をつむって、つまり、当事者(戦争体験者やその遺族)の懸念を無視して、「興味を持った人が増えたのだからこれを認めて、もっとやるべきではないか」というのは、ちょっと待ってくださいと言いたいところです。
 もちろんそうでなくて、きちんと頭を切り替えて真剣に勉強されている方もだいぶおられると思うので、そういう方が増えていくことはとても良いことだと思っています。むしろ、そういう方が率先して「適切な」仕方で、つまりふざけた軽率な功利主義的なやり方ではなくて、戦争の理解と継承による啓蒙をして頂ければと思っています(実際にそういう人もおられます)。このゲームが「悪い」というのは、ゲーム自体が全部悪だというのではなくて、こういう問題を起こした「誘因」となっている、ということです。ゲーム会社側も、史実を基にしたゲームである以上、一部のユーザが問題行動を起こすことを予測できなかったのかなと少し残念に思います。まあ、予想外過ぎてそこまで責任を問うのはもちろん酷でしょうが。史実を基にしたキャラクター商売をやるなら、もうちょっと慎重にやってくれたらなあと思います。
 また、要望を出してはどうかということですが、我々はゲーム会社に苦情をいれたり、どうこうしようというつもりは皆目ありません。ついでに申しておけば、当該の自治体に対して、正式に抗議をしたり意見書を送ったりもしていません(役場の方とは意見交換をさせて頂きましたが)。
まあ、「こういう意見の人もいるんだな」と、頭の片隅ぐらいにおいていただければと思います。

「自分も、戦争中に悲劇が起こった場所でのピースサインを見ると腹が立ちますし、この記事の主旨については同意しております。それだけに、(上で申し上げた通り、私にはあまり適切な批判だとは思えない)ゲームの批判によって、無用な反感を買うのは勿体無いと感じてコメントいたしました。オタクが「俺らが偏見を持たれるのはAというコンテンツのオタクのせいで、そのキモオタを生み出しているAというコンテンツも悪い!」というのは、心情的には理解されますが同意は集めませんので。 」
確かに記事の趣旨が煩瑣になっているという点は見直すべきかもしれません。そしてゲーム批判を取り上げたことで無用な批判を招いたというご意見もしっかりと胸に留めておきたいと思います。また、この記事では色々なテーマが重複しており、読みにくかったことは申し訳ないと思っています。我々が言いたいことは全て書きましたので、どう読まれるかは読む方にお任せします。もしこの記事が単なるゲーム批判としてしかとられないのであれば、それは残念なことです。そして、この記事は、同意を頂こうと思って書かれたのではなく、他の人はこれをどう思うのかを知りたくて書かれたものでもあります。もちろんきちんと趣旨を理解してくださる方はおられますので、そういう方々と意見交換できれば望ましいと考えています。
「ちなみに昨日から急にコメントがきているのに多少驚かれているとお察ししますが、これは、ゲーム「艦これ」のまとめサイトにて、加藤氏のこの発言の紹介にこのサイトが引用されたからだと思われます。
そのついでにお伺いしたいのですが、この記事に(平成29年6月18日於京都霊山護国神社 講演録より抜粋)とありますが、この講演録はネット上に上がっていない、この会での頒布資料のようなものでしょうか。お答えいただけると幸いです。 」
 そうでしたか、それは知りませんでした。教えていただきありがとうございます。講演録の件ですが、これは京都霊山護国神社さんが定期的に二ヵ月に一度ほど実施されている、戦争体験者の講演会にて我々が記録したものですので、ネット上にはアップしておりません。加藤さんはそれ以前にも何度か講演会に来られてお話をしていただいたようです。コチラの講演会ですが、たしか主催者の方が動画等で記録しておられたので、保存はされていますが、ネット上で公開されているかどうかは不明です。この記事で引用した箇所は、加藤さんの講演会の質疑応答の時に、どなたかが「瑞雲が復元されたことについてどう思いますか」という質問をされて、それに対する応答として発言されたものです。よろしければ、一度護国神社での講演会の方に参加されてはいかがでしょうか。私もたまに参加させてお話を聞かせて頂いております。(ただし、参加には事前の参加登録と参加料が必要です。)主催者の方々が色々とご尽力されていて、本当に頭が下がります。護国神社の清掃奉仕などもされています。

このゲームを愛好されておられる方が大勢いるというのは知っていますし、私の友人たちもこのゲームにはまっています。ゲームは楽しまれればよいかと思いますし、それについてとやかく言うようなつもりも元から毛頭ありません。ただ、やっぱりユーザーが多くなると、おかしな人も増えて現実の場で迷惑行為に及ぶ人もでてきているので、そこは貴殿のような良心的なユーザーの方々がお声がけをして頂ければと思います。

本当に丹念に記事を読んで頂きありがとうございました。誤字脱字等あり読みづらいかもしれません。もしまだご不明な点などございましたら、是非またコメント頂ければと存じます。

建設的なご意見をありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いします。


6,NONAMEさま、コメントありがとうございます。

こんにちは。ご質問に関して、
「コメントNo2はこちらのブログを編集された方という事で良いのでしょうか。
大洗のような「惨状」という表現をされていますが、東日本大震災での震災を受け、あそこまで復興する為の不断の努力を「惨状」という言葉を使って切り捨てるのでしょうか?」
記事をお読みいただければ分かるかと思いますが、No2のコメントの「惨状」とは、大洗磯前神社での軍艦那珂忠魂碑に対する侮辱行為の数々を指した表現です。該当箇所をお読みいただければと思います。
私も、震災前ですが、一度大洗に行ったことがあります。震災から復興した後の大洗にもまた是非訪れたいと思っております。

7. NONAMEさま、コメントありがとうございます。
「編集者さんは「艦これが分別のない人を生み出す」と言いたいのではなく「艦これという入り口は分別の無い人までもが戦争に興味を示してしまう」と言いたいのでは無いでしょうか?
余りにも広すぎる入り口は考えものだと思います
皆が皆まで戦争の歴史に興味を持つがいいことだとは思えません 例えば右翼拗らせたような人までもが知ってしまったら碌でもないことになると」
これまで教育や学問に携わる人々は戦争関連のものをとても慎重に扱ってきたわけですが、昨今の戦争モノのアニメゲームブームで膨大な人々が押し寄せてきた結果、記事で紹介したようなとんでもないことになっていると言えます。彼らが仲間内で騒いでいるだけなら良いのですが、戦没者供養祭や戦跡で問題行動を起こしているとなると、とても見過ごすわけにいきません。また、そこから興味をもったとしても、分別をもって行動してくれればいいのですが、実際にもう「碌でもないことに」なってしまっているので、もう手遅れとしか言いようがありません。こんなことになっているのに、どうして敢えてこういう宣伝をするのか、と疑問に思います。

8. NONAMEさま、コメントありがとうございます。
「実際今そのアニメで戦没した船がTVの前の貴方と結婚式をするっていう
あり得ないシチュエーションが放送され現実とゲームを混同する分別のない人々を生み出し 」
そのゲームについてはあまり詳しくないのですが、ゲームのシステムの中に現実とゲームを混同するようなシステムがあるということでしょうか。「戦没した船がTVの前の貴方と結婚」というのもちょっとよくわかりません。普通の脱衣麻雀的なゲームかと思っていたのですが。
「ゲーム内で出てくる戦没者を罵倒中傷する画像が流行ったりという状況が続いていますから致し方ないとも思いますね 」
もしそれが事実だとすればとんでもないことですね。その人物が現実の人間で、家族がいるということまで想像力が働かないのでしょうか。それはあまりに浅はかです。そういうものが当事者や遺族の目に触れないよう願うばかりです。
最近、こういう戦争ゲームや戦争アニメの氾濫に加え、チビチリガマでの破壊行為、それから戦争体験者に対する「左翼ジジイ」などという罵倒などを目にするにつけ、戦争の記憶もここまで風化したかと嘆かわしい気持ちになります...

皆さまご意見、ご感想ありがとうございました。

10. 無題

はじめまして。瑞雲が安易にキャラグッズ化しているのも問題が有るのではないかと思っています。
瑞雲ハイランドで検索すると出てくると思うのですがコミックマーケット(趣味の本を売る即売会)でもKADOKAWAブースでは土鍋販売をしたのですが瑞雲を呑水に使っておりどうなんだろう?という思いを抱いております(他にも瑞雲グッズは沢山存在しております)
また、「艦これ」の抱く問題としては
・装備アイテムで「村田隊」「友永隊」「江草隊」等の実名を使った装備が出てくるのですが敵と思われる化物に艦載機を落とされると「村田隊が死んでおられるぞwww」などとバカにしているユーザーが居る(検索サジェストでも出てきます)
・瑞鶴の七面鳥打ちに対しての多数の侮辱発言
・深海に沈んだサラトガを敵キャラ化し、長門・酒匂・プリンツ・オイゲンで戦わせると「特攻効果」(アメリカの核実験「クロスロード作戦」に供された軍艦を基にした艦娘、組み合わせでしょう)が生まれる等のゲーム仕様にしたりファンはそれを「クロスロード組のアトミックパンチw」と侮辱している点。尚、プレイヤーから言わせると「鉄の固まりが沈んだだけであり、問題はない」、第五福竜丸事件の事も知っていないユーザーが居る現状です。
・鬼怒川の大氾濫事件で鬼怒ちゃんのお漏らし等の発言。去年度では大和川氾濫や利根川、熊野川氾濫で大和ちゃんのお漏らし…wと喜んだりしているユーザーが居る事
・また、同じDMMゲーですがイメージの乗っ取りもあると思います。戦艦を調べたいのに美少女画像がサジェストされたりwikipediaを調べたいのに「艦これ」のwikiが優先的に出てくる。艦船名で検索した場合に表示される情報のほとんどが、艦船の美少女擬人化イラストで出てくるのも些か艦これが抱えている問題だと思います。
同じDMMゲーで「社はにほへと」と言うゲームがあったのですが宗教的な問題により開発中止に為ったゲームもあります。オリジナルがなんなのか、正確に伝わりません。
「艦これ」から戦争の悲惨さ、史実を知っていくのはとても良い事だとだと思います、ですがあまりにも「艦これ」ユーザーの中にもマナーが悪かったり、公式が悪ノリをして「史実再現」や「鎮魂」などと軽々しく発言しているのも問題だと思います。
戦艦の擬人化・美少女化ですので不謹慎な部分が出てくるのは致し方ない部分があると思いますが、「慰霊」や「鎮魂」と誤魔化している。
この間のゲーム中のイベントではレイテをモチーフにしたいべ沈んだ扶桑山城を敵に

11. 無題

はじめまして。瑞雲が安易にキャラグッズ化しているのも問題が有るのではないかと思っています。
瑞雲ハイランドで検索すると出てくると思うのですがコミックマーケット(趣味の本を売る即売会)でもKADOKAWAブースでは土鍋販売をしたのですが瑞雲を呑水に使っておりどうなんだろう?という思いを抱いております(他にも瑞雲グッズは沢山存在しております)
また、「艦これ」の抱く問題としては
・装備アイテムで「村田隊」「友永隊」「江草隊」等の実名を使った装備が出てくるのですが敵と思われる化物に艦載機を落とされると「村田隊が死んでおられるぞwww」などとバカにしているユーザーが居る(検索サジェストでも出てきます)
・瑞鶴の七面鳥打ちに対しての多数の侮辱発言
・深海に沈んだサラトガを敵キャラ化し、長門・酒匂・プリンツ・オイゲンで戦わせると「特攻効果」(アメリカの核実験「クロスロード作戦」に供された軍艦を基にした艦娘、組み合わせでしょう)が生まれる等のゲーム仕様にしたりファンはそれを「クロスロード組のアトミックパンチw」と侮辱している点。尚、プレイヤーから言わせると「鉄の固まりが沈んだだけであり、問題はない」、第五福竜丸事件の事も知っていないユーザーが居る現状です。
・鬼怒川の大氾濫事件で鬼怒ちゃんのお漏らし等の発言。去年度では大和川氾濫や利根川、熊野川氾濫で大和ちゃんのお漏らし…wと喜んだりしているユーザーが居る事
・また、同じDMMゲーですがイメージの乗っ取りもあると思います。戦艦を調べたいのに美少女画像がサジェストされたりwikipediaを調べたいのに「艦これ」のwikiが優先的に出てくる。艦船名で検索した場合に表示される情報のほとんどが、艦船の美少女擬人化イラストで出てくるのも些か艦これが抱えている問題だと思います。
同じDMMゲーで「社はにほへと」と言うゲームがあったのですが宗教的な問題により開発中止に為ったゲームもあります。オリジナルがなんなのか、正確に伝わりません。
「艦これ」から戦争の悲惨さ、史実を知っていくのはとても良い事だとだと思います、ですがあまりにも「艦これ」ユーザーの中にもマナーが悪かったり、公式が悪ノリをして「史実再現」や「鎮魂」などと軽々しく発言しているのも問題だと思います。
戦艦の擬人化・美少女化ですので不謹慎な部分が出てくるのは致し方ない部分があると思いますが、「慰霊」や「鎮魂」と誤魔化している。
この間のゲーム中のイベントではレイテをモチーフにしたものでしたが沈んだ扶桑山城を敵に見立てて戦わせたり、プロデューサー自身が「扶桑や山城を同じパーティに組んで百合パワーとか発揮したら楽しい」と発言していたりかなり艦これ運営の思考がズレているということもわかります。
(http://www.4gamer.net/games/205/G020591/20130911062/)
私個人としては艦これから史実に興味を持った事はとても良いことだとは思うけれども「敬意を払い、侮辱をしない」事が一番大切なことなのではないかなと思っております。
今の艦これユーザーは「やりすぎ」だと思っております。
一意見としてご覧くださいませ。

12. 無題

二重投稿になり申し訳ございません。

13. No10,11,12さま コメントありがとうございます。

こんにちは

コメントありがとうございます。また、ゲームに関する情報をありがとうございます。

元より、慰霊とか敬意をゲーム会社に期待してはいませんが、どうやら思っていた以上にヤバそうな感じですね...
おっしゃるように「敬意を払い、侮辱をしない」というのは大切なことだと思います。
ゲームをするだけならまだしも、こういうゲーム感覚を、戦没者供養祭とか戦跡整備に持ち込むのは本当に勘弁してほしいです。

ゲームの問題点については、同じような考えを共有する方々で集まるなどして、会社側に提言されればよいかと思います。マナーの悪いユーザーについては、ユーザー同士でお声がけしていただければと思います。

よろしくお願いします。

14. 無題

私自身も艦これの古参ユーザーですが、所謂萌えミリは只の戦史やミリタリーに比べ、環境的に正常な判断力を失わせている部分が非常に大きいと考えています。
昨今のオタク界隈は悪乗り至上主義と負の方向へのチキンレースが跋扈するような界隈であり、下衆な話題を持ち出したり大喜利をして群れることが日常となっています。
普段は正常な思考を持っている人間であっても、周囲の環境に流されて染まってしまうこともありますし、声を上げても戯言と一笑されるか屁理屈で反発されるケースが多いです。
艦これそのものがオタクミームに取り込まれて久しい今、ファンの間での自浄作用はもはや期待できないと私は考えています。

15. 鶉野飛行場マスコットキャラクターの作者です。

鶉野飛行場マスコットキャラクター「ウズラノ少尉」の作者、藤中健二と申します。ブログを拝見しましたが、我々の「鶉野飛行場の保存活動」の背景も知らず何の取材も無しに「マスコットを使用した広報活動」を一方的に批判された記事はまったく事実と違いますのでコメントさせていただきます。まず「ウズラノ少尉」は任意団体である「鶉野飛行場未来プロジェクト」と私、藤中が自発的に創作したモノで加西市や自治体の公募ではありません。そもそも「鶉野飛行場資料館」を地元ボランティア有志で運営する運営費(家賃や光熱費)をまかなう為にグッズ販売をし、その収益を全額それにあてています。何事もゼロ円では事は起こせません。従って私を含めたプロジェクトスタッフはまったくの無報酬であり、そちらが書かれた「戦争遺跡を利用した浅薄なる功利主義が顔をのぞかせている。」という記述は不適切です。また「戦争遺跡にマスコットキャラクターは不要である」という持論を展開し「それ自体が絶対悪」であるかのように記述されていますが、果たして絶対にそうなのでしょうか?そもそもキャラクターを登場させる意図は「親しみを持っていただく」為です。「戦争」という重く悲惨なテーマだけでは感心をなかなか持っていただきにくいモノです。「鶉野飛行場」には「特攻隊が出撃した」という悲劇の歴史もありますが、「当時の若者たちと地元住民とのあたたかいふれあい」も語り継がれる戦争証言なのです。このキャラクターを創作するにあっても自分は「英霊の方々」を深く想いながら作り出したモノです。そこに「英霊の方々を冒涜するような意図は全くありませんし、そのような意匠を紡ぎ出せた」と思っています。それでもそれは見た人の印象ですからさまざまな意見や感想はあるでしょう。それは仕方がないと思いますが、少なくともこのキャラクターが誕生して以来2年間で好意的な意見を聞くことがあっても「英霊や戦争遺跡を冒涜している」といった否定的な意見を口頭でもネットの書き込みでも見たことはありません。

元より「ウズラノ少尉を利用した戦争遺跡のテーマ化」など意図したことも想像したこともありません。そんなものが成功するはずもありません。我々はひとえに「鶉野飛行場にあった歴史を少しでも多くの人々に伝え、考えていただき、当時の歴史と人々を思っていただきたい」そのためにはどうしていったらいいのか?について心を砕いています。

16. ブログ記事読ませて頂きました。

私もいわゆるミリオタという人種ですが、ここ最近のアニメ税とは大分距離感を感じています。私らの頃は、なんと言いますでしょう、ある種の後ろめたさというか「業」みたいなものを感じていたわけですが、最近のミリタリーブームには全然そういう後ろ暗さがないんです。
と、まあ少しジジむさい感想でした。。

17. ブログ記事読ませて頂きました。

私もいわゆるミリオタという人種ですが、ここ最近のアニメ税とは大分距離感を感じています。私らの頃は、なんと言いますでしょう、ある種の後ろめたさというか「業」みたいなものを感じていたわけですが、最近のミリタリーブームには全然そういう後ろ暗さがないんです。
と、まあ少しジジむさい感想でした。。

18. お返事 皆さま、コメントをありがとうございます。

14. NONAMEさま、ご意見ありがとうございます。

「私自身も艦これの古参ユーザーですが、所謂萌えミリは只の戦史やミリタリーに比べ、環境的に正常な判断力を失わせている部分が非常に大きいと考えています。
昨今のオタク界隈は悪乗り至上主義と負の方向へのチキンレースが跋扈するような界隈であり、下衆な話題を持ち出したり大喜利をして群れることが日常となっています。
普段は正常な思考を持っている人間であっても、周囲の環境に流されて染まってしまうこともありますし、声を上げても戯言と一笑されるか屁理屈で反発されるケースが多いです。
艦これそのものがオタクミームに取り込まれて久しい今、ファンの間での自浄作用はもはや期待できないと私は考えています。」
 そうですか...それはとても残念です...ブームが去るのを待つしかないのでしょうか。せめて趣味のアニメゲームと現実の区別ぐらい付けて頂きたいものですね。分別のない人はどこにもいると思いますが、それにしても度を越していると思います。
 また、この記事はそういう人にすこし考えてほしいなあという意図もあって書いたものでしたが、どうやらツイッターの200字程度ですらまともに理解できないような人たちに読んでもらおうというのが、そもそもの間違いだったかもしれません。記事についての色々な感想をもらうのですが、文意を理解していないものや私たちの言っていないようなことを批判する意味不明なものがありますから、最早これでは文盲同然です。ネットの記事ですらまともに読んでもらえないとなれば、もうどうしようもありませんね。反対に、真剣に現状を憂いておられる方からは、様々な有益なご意見やアドバイスを頂戴できるので、それは非常に大きな収穫であったかと思っております。
 そういう分別のない人間が増えているからこそ、その抑止の為に古参の方々の果たす役割が益々大きくなっているのではないかなあとも思いますし、貴殿のような方に僅かな希望を託したいところですが。


15. 藤本さま

ご意見ありがとうございます。また、記事をお読みいただきありがとうございます。

「ブログを拝見しましたが、我々の「鶉野飛行場の保存活動」の背景も知らず何の取材も無しに「マスコットを使用した広報活動」を一方的に批判された記事はまったく事実と違いますのでコメントさせていただきます。まず「ウズラノ少尉」は任意団体である「鶉野飛行場未来プロジェクト」と私、藤中が自発的に創作したモノで加西市や自治体の公募ではありません。そもそも「鶉野飛行場資料館」を地元ボランティア有志で運営する運営費(家賃や光熱費)をまかなう為にグッズ販売をし、その収益を全額それにあてています。何事もゼロ円では事は起こせません。従って私を含めたプロジェクトスタッフはまったくの無報酬であり、そちらが書かれた「戦争遺跡を利用した浅薄なる功利主義が顔をのぞかせている。」という記述は不適切です。」
 まず、取材をせずに取り上げたことは申し訳ないと思っております。「ウズラノ少尉」は、「戦跡マスコットキャラクターの例」という形で取り上げました。この記事の主意は、戦跡マスコットキャラクターが「場違いではないか」、あるいは「ふさわしい紹介の仕方なのか」ということです。ですから、飛行場保存会の方々の理念や内情を知らないための誤解というよりは、元より、その「戦跡マスコットという手法」を問題にした文脈で取り上げたわけです。
 鶉野飛行場が民間のボランティアによって運営されていることは存じ上げておりますし、大変な苦労をされているということも聞き及んでおります。そして同時に、調査、研究、保存活動において多大な成果を上げておられることも存じております。ただ、戦争遺跡をキャラクターでPRする、或いは戦争遺跡にマスコットキャラクターを据えるということに違和感を感じましたので、その旨を記事に書かせて頂きました。
 まず、資金繰りについてですが、各地の戦跡保存団体の方々に取材したり、実際に私たちも各々の地元で戦跡保存活動に携わっているので、どの団体もお金の工面に苦労していることは重々承知しております。ただ、やはりどこもお金がない中で最低限の節度をもってやっているわけですから、キャラクターグッズを売って資金を工面というのに、違和感を覚えるわけです。お金が集まれば、資金を工面できれば何でもいいのかなあと思ったわけです。戦跡保存団体の多くは、マスコットキャラクター等のグッズ展開することなく運営しているわけですし、もっと他に良い方法がないものでしょうか。他の団体等とノウハウ等を共有できれば、こういう手段に頼らずに資金面の問題をクリアできるようになるのではと思います。
 ですから、「戦争遺跡を利用した浅薄なる功利主義が顔をのぞかせている。」というのは、「戦争遺跡にふさわしくないマスコットキャラクターのグッズ販売等の功利的手法がとられている」ということです。つまり、保存会の理念を揶揄したものではなくて、「キャラクター商売」と「グッズ展開」という極めて営利的「手法」が問題だというわけです。これは記事を通して読んでいただければ分かると思います。

「また「戦争遺跡にマスコットキャラクターは不要である」という持論を展開し「それ自体が絶対悪」であるかのように記述されていますが、果たして絶対にそうなのでしょうか?そもそもキャラクターを登場させる意図は「親しみを持っていただく」為です。「戦争」という重く悲惨なテーマだけでは感心をなかなか持っていただきにくいモノです。「鶉野飛行場」には「特攻隊が出撃した」という悲劇の歴史もありますが、「当時の若者たちと地元住民とのあたたかいふれあい」も語り継がれる戦争証言なのです。このキャラクターを創作するにあっても自分は「英霊の方々」を深く想いながら作り出したモノです。そこに「英霊の方々を冒涜するような意図は全くありませんし、そのような意匠を紡ぎ出せた」と思っています。それでもそれは見た人の印象ですからさまざまな意見や感想はあるでしょう。それは仕方がないと思いますが、少なくともこのキャラクターが誕生して以来2年間で好意的な意見を聞くことがあっても「英霊や戦争遺跡を冒涜している」といった否定的な意見を口頭でもネットの書き込みでも見たことはありません。 」
 「絶対悪」かどうかは知りませんが、あまりにあり得ない組み合わせに面食らったというのは正直なところです。これまで色々な戦跡保存団体や平和団体の方々とお話させて頂きましたが、こういうことをやっている団体は見たことがありませんでした。
 藤中様のお話では、鶉野飛行場に親しみをもってもらい、当時の軍人と地元の人々との「あたたかいふれあい」を伝えていくことがマスコットキャラクターの役割であるとすれば、やはりそれは片手落ちではありませんか。そもそもそういう「ふれあい」の歴史はマスコットキャラクターを使わなければ伝わらないものなのでしょうか。もっと言えば、戦争遺跡はキャラクターを使って親しみをもってもらうようなものなのかな、という気もします...やっぱりそうなると、そこがどういう場所だったのか、ということが上手く伝わらないんではないかと思います。つまり、特攻基地として使用されたという悲しい事実が果たしてきちんと伝わるのかと危惧しているわけです。もちろん、「特攻機出撃」、「地元の人々との交流」、これはどちらも伝えていかなければならない事実です。しかし、マスコットキャラクターによって、もう片方の悲惨な特攻機出撃という側面は、きちんと伝えることができるでしょうか。「キャラクター」と「特攻出撃」をふたつ並べた場合、私は違和感を覚えてしまいます。
 記事でも述べましたが、例えば特攻基地のあった知覧や原爆ドームに「ちらんちゃん」や「原爆くん」といったマスコットキャラクターはいませんし、それから、あの靖国神社にすらマスコットなどというのはいなかったと思いますが。(いるのか...?)もしいたとしたらどうでしょう。それになぜこれらの団体が敢えてそういうことをやらないのか、ということも考えて頂ければと思います。特攻、自殺攻撃、事故死、戦死、顕彰、慰霊、鎮魂といった言葉とこのキャラクターを並べた場合、どうでしょうか。そこであった事実と照らし合わせた場合、こういうキャラクターはそこを紹介するのにふさわしいものでしょうか。私たちは、そこであった凄惨な事実とポップなキャラクターの併存に違和感を覚えてしまいますし、それだけでなく、記事で紹介したように、慰霊碑でキャラクターと撮影したり、マスコットキャラクターを戦跡に据えたりすることで、地元(もちろん鶉野ではありませんが)の方や遺族会、戦友会の方々があきれておられるのを何度か見聞きしてきて、「当事者の声が無視されているのでは」と思い、こういう記事を書いたわけです。ですから、私たちの好き嫌いではなく、「当事者の声」というのが執筆動機になったと言えます。「浅薄な」という表現を用いたのは、こういうことです。

「元より「ウズラノ少尉を利用した戦争遺跡のテーマ化」など意図したことも想像したこともありません。そんなものが成功するはずもありません。」
「テーマパーク化」というのは、「キャラクターを使ってPRして人を呼び込む、関心を持ってもらう」という意味の比喩です。もちろんそういうことを意図的にやっておられるのではないと信じていますが、「マスコットキャラクター」「グッズ販売」「親しみをもってもらう」「あたたかいふれあい」等の外面をみた場合、やっぱり戦争遺跡とセットになるとをおかしな感じがします。もちろん藤中様はじめ、プロジェクトの皆様は真摯に慎重に取り組んでおられると思うのですが、少しこういう外野の意見に耳を傾けて頂ければと存じます。

「我々はひとえに「鶉野飛行場にあった歴史を少しでも多くの人々に伝え、考えていただき、当時の歴史と人々を思っていただきたい」そのためにはどうしていったらいいのか?について心を砕いています。」
これは誠に殊勝なお心がけだと思いますし、身銭を切ってご奉仕されているということについては、当然素晴らしいことをされていると感銘を受けています。また、鶉野飛行場の調査研究の成果に関しては特別の敬意を抱いております。それだけに、「なぜ...?」という気がしてなりません。
念のために申しておきますが、私たちは元より「キャラクターの使用をやめろ」などということを要求したり抗議するというつもりはありません。
色々書きましたが、こういう考えの人もいるんだな、と頭の片隅においていただけくだけでも私たちとしては幸いです。

よりよい戦跡整備が実現できるように、また取材に赴き、色々お話を伺いたく存じます。
鶉野飛行場の調査研究、保存活動の益々のご成功をお祈りしております。

戦争遺跡研究会 工学部 4回生 浦辺


16.17. NONAMEさま ご意見ありがとうございます。

「私もいわゆるミリオタという人種ですが、ここ最近のアニメ税とは大分距離感を感じています。私らの頃は、なんと言いますでしょう、ある種の後ろめたさというか「業」みたいなものを感じていたわけですが、最近のミリタリーブームには全然そういう後ろ暗さがないんです。
と、まあ少しジジむさい感想でした。。 」
 なるほど「業」ですか。真剣に取り組んでおられるからこそ、そういう「業」を感じることができるのかとも思います。残念ながら、昨今の大半の人々は単に戦争を、ゲームや漫画などの娯楽を通して「消費」しているだけでしょう。ゲームや漫画だけで終わってくれればいいのですが、現実とゲームの区別すらつけられないような人間がでてくるわけですから、困りものです。「業」を感じるほどに真剣に戦争の問題に取り組む人はこれから出てくるでしょうか。
貴殿のような方のご活躍を期待しております。

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