熊本県球磨郡錦町一帯、かつて高ん原と呼ばれたこの地には、海軍の一大拠点が建設されました。昭和十八年に航空機の中継基地として完成後、昭和二十年までに付属工場を擁する大規模な軍事拠点へと発展、現在も多数の遺構が現存しています。
近年、地元の有志らによる調査・研究によりその全貌が明らかになりました。また、自治体と住民とが一体となった、全国的にも稀有な協力体制の下で保存活用事業に取り組んでおり、戦跡保存事業のモデルとなるポテンシャルを有しています。
この度は突然の申し出にも関わらず、錦町の役場の方々にご案内を頂きました。大変お忙しい中にも関わらず、誠にありがとうございました。
▽航空隊門柱
第二代司令の 田中 千春海軍大佐の発案により、地元球磨川の栗石を材料に造られました。門柱を建造したという方も御健在で、その方の証言で門の構造や建造方法が判明したようです。更に、最近、門柱の損傷した箇所をその方が補修されたそうです。
左の幟は、郷土史家の方が自費で建てられたそうです。
▽コチラの看板も郷土史家の方によるものだそうです。
詳しい解説にかつての写真も貼られています。非常に熱心に取り組まれている地元の方がおられるようです。
身銭を切ってまで保存活動をされるとは、頭が下がります。
▽こちらは窯跡です
発見から清掃作業まで、地元の方がされたということです。このような熱心な方を中心に官民が協働して戦争遺跡の整備・保存に取り組んでいるのが、錦町の素晴らしいところです。
▽戦死者と民間の犠牲者を祀った慰霊碑
▽軍人勅諭を記した石碑です。
かつてはこの丸い石が五角形の石碑の上にのっていたようです。こちらも、戦後に土に埋めて進駐軍から隠したとか、様々な逸話があります。
▽当時と変わらぬ風景が残っているのも錦町の魅力
▽こちらは錦町の設置した説明版です
分かりやすい解説に、充実した情報量です。
これは錦町の地域おこし協力隊の方を中心に製作されたものです。
▽かつての滑走路跡
▽滑走路東端に位置する「人吉球磨秘密基地ミュージアム」建設予定地
平成三十年に開館予定です。とても楽しみです。
▽魚雷整備壕
驚くべき保存状態です。
▽こちらは一部コンクリートがまかれています。
▽農家の方が倉庫として使用されています。
▽兵舎壕
▽このような案内板も
▽壁面に残るかすがい
▽木本神宮
予科練の学生はここで終戦の詔勅を拝聴しました。
▽無線室
▽発電機の台座跡
▽蝙蝠です
この壕内には三種類の蝙蝠が棲息しているそうです。このような壕内の生態系の調査も行われています。
▽このほか、山の斜面にはまだ多数の壕があるということです。
▽人吉城内にある「相良護國神社」
▽忠霊塔
▽望岳苑にある留魂碑
錦町での素晴らしい取り組みの数々を目にして非常に期待している反面、少し心配なところもありました。地元の方が好意で色々とやっていること(ウェブ上での宣伝やパンフレット作成)は、それが民間のモノである限り許容されるというものです。しかし、一度それが町役場の公認のものとなってしまうと、話は違ってきます。
↓詳しくは以下を参照ください。
「戦争遺跡」と町興しについて一考――球磨郡錦町での取り組みを例として
これは、あくまで錦町の方々の努力が不当に評価されたり、誤解されることを心配して書いたものであって、錦町の取り組み自体を否定するものではありません。ましてや、身を粉にして調査・研究・広報をされている、学芸員や郷土史家の方々を誹謗中傷するものでは決してありません。
役場の方には、お忙しい中、町立図書館にて貴重な資料まで見せて頂きました。
錦町役場の皆様、ご協力どうもありがとうございました。