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京都大学戦争遺跡研究会(2017-)

 戦争遺跡研究会は、主に戦争の記憶を後世に継承するための活動に取り組んでいます。活動内容は、戦争体験者からの聞き取りや、「戦争遺跡」と呼ばれる明治~昭和までの戦争に関する遺構の調査研究などです。現在、各地の教育委員会や郷土史家、戦友会、有志の方々などのご協力を頂いて「戦争遺跡アーカイブ」を作成中です。本サイトでは我々の活動の一部を公開させて頂きます。ご質問ご意見はyuki0118(アットマーク)gmail.comまでお願いします。2016年以前の活動はこちら→http://senseki3.kyotolog.net/ ツイッター @sensenki3

大村 第二十一海軍航空廠/ 海軍航空基地

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大村 第二十一海軍航空廠/ 海軍航空基地

大正十二年、錬成航空隊として大村海軍航空隊が発足。
 昭和十六年十月一日、長崎県大村市に第二十一海軍航空廠が開廠しました。210万平方メートルの広大な敷地に180棟の工場が建設され、五万人が働いていました。工場では、零式水上観測機、流星、紫電改などの航空機や発電機の製作や修理を手がけました。昭和十九年十月二十五日の空襲で壊滅的打撃を受け、昭和二十年十一月三十日に廃廠されました。

第二十一海軍航空廠殉職者慰霊塔

▽慰霊塔


昭和十九年十月二十五日の空襲犠牲者を祀った慰霊塔です。毎年十月二十五日には、第二十一海軍航空廠殉職者慰霊塔奉賛会主催の慰霊祭が行われています。






▽航空廠内の防空壕の上に建立されています。


▽壕口に爆風除けの壁がついています。


▽石碑の台座には、航空廠内の電源機械室の煉瓦が使用されています。


第二十一海軍航空廠本部防空壕

▽サッカー場の南側にあります


▽空襲時の弾痕か


▽昭和28年頃の空撮(海軍航空廠本部)

ロータリーの上の植え込みの所に防空壕があります。

▽現在(平成29年)の航空廠本部付近

当時を偲ぶ者はほとんど残っていません。敷地は団地や入管、サッカー場になっています。


工員養成所正門
西大村中学校の裏門になっています。




大村海軍航空隊

▽大村海軍航空隊跡地

自衛隊の基地になっています。

▽三棟の格納庫が並ぶ


▽陸上自衛隊竹松基地内の煉瓦倉庫


▽下原口公園内に残る掩体壕



おわり

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