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京都大学戦争遺跡研究会(2017-)

 戦争遺跡研究会は、主に戦争の記憶を後世に継承するための活動に取り組んでいます。活動内容は、戦争体験者からの聞き取りや、「戦争遺跡」と呼ばれる明治~昭和までの戦争に関する遺構の調査研究などです。現在、各地の教育委員会や郷土史家、戦友会、有志の方々などのご協力を頂いて「戦争遺跡アーカイブ」を作成中です。本サイトでは我々の活動の一部を公開させて頂きます。ご質問ご意見はyuki0118(アットマーク)gmail.comまでお願いします。2016年以前の活動はこちら→http://senseki3.kyotolog.net/ ツイッター @sensenki3

観音崎砲台

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観音崎砲台

初代ゴジラの上陸地点としても知られている観音崎には、かつて陸軍の砲台がありました。
砲台跡は公園化されており、気軽に遺構の散策ができます。


第一駐車場から灯台を通り、走水神社まで歩きます。

かつて観音崎には戦艦長門の主砲が据えられていましたが、戦後全て分解、解体されました。
観音崎で長門級の巨砲解剖 放置される対空砲台(毎日新聞社、昭和23年)

神奈川県観音崎の元海軍敷地に放置されていた陸奥、長門級の主砲、40サンチの砲身13門が産業復興公団の手によって解体されています。
切断された砲身(毎日新聞社、昭和23年)
コンクリート製の部分(毎日新聞社、昭和23年)
砲台に使ったという鉄塊を焼き切ろうとしたら中身はコンクリートだったそうです。

子供たちの遊び場になる砲身(毎日新聞社、昭和23年)

▼揚陸場跡

家族連れが釣りに興じています。
 
北門第二砲台

▼灯台までの道中にある壕跡

壕口は進入出来ないように塞がれています。

▼第一砲座跡


▼伝声管の跡


▼塞がれていない壕口内部


▼砲台横のトンネルです。火薬庫らしきものがあります。


北門第一砲台

▼トンネルを抜けました。こちらにも砲台跡があります。


▼観音崎灯台
 

▼灯台裏にも掘り込みがありました。

防空壕を掘ろうとしたのでしょうか。

▼「海の見晴台」から太平洋の眺め


▼付近の「防」標柱
  

展望園地を抜けて海沿いの道を歩いていきます。

▼たたら浜にあるトーチカ

   

 

▼トーチカ内部


▼たたら浜園地を登っていくと付近に横穴が点在しています。

ほとんど塞がれています。

三軒家砲台

▼観測所跡
 
 
▼砲座跡です。


▼迷彩色が残っています。


▼弾薬庫でしょうか。
 
こちらも塞がれています。

▼人工的な切通しを進んでいく


▼自然に還る遺構


▼掩蔽部にたどり着きました。


▼走水神社


▼日露戦争時のロシア軍の機雷が奉納されています。





おわり






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