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京都大学戦争遺跡研究会(2017-)

 戦争遺跡研究会は、主に戦争の記憶を後世に継承するための活動に取り組んでいます。活動内容は、戦争体験者からの聞き取りや、「戦争遺跡」と呼ばれる明治~昭和までの戦争に関する遺構の調査研究などです。現在、各地の教育委員会や郷土史家、戦友会、有志の方々などのご協力を頂いて「戦争遺跡アーカイブ」を作成中です。本サイトでは我々の活動の一部を公開させて頂きます。ご質問ご意見はyuki0118(アットマーク)gmail.comまでお願いします。2016年以前の活動はこちら→http://senseki3.kyotolog.net/ ツイッター @sensenki3

姫路 第十師團 長官官舎/ 兵器部西倉庫

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姫路 第十師團 長官官舎/ 兵器部西倉庫

<<第十師団(鐵兵団)略歴>>
 日露戦争では、明治三十七年四月十六日の動員下令以降、各地を転戦。第四軍隷下部隊として遼陽会戦・沙河会戦・奉天会戦等主要な戦いに参戦。奉天会戦では追撃戦で大戦果を挙げた。師団長の川村景明大将は鴨緑江軍司令官を歴任。明治三十九年一月三十一日復員下令、凱旋。

▽川村景明大将


▽散兵壕で休息する第十師団兵士(明治三十八年三月頃、奉天)


 昭和七年、満州事変、昭和十二年支那事変と相次いで出兵。台児荘の戦い・徐州会戦・武漢攻略戦に参加。
 昭和十五年、以後満州永久駐屯を命ぜられ、関東軍の直属兵団として、黒竜江省の佳木斯(ジャムス)市に駐屯。
 昭和十九年二月から師団の一部が太平洋方面に抽出され、七月には師団主力も南方派遣が決定。八月、第十四方面軍隷下となり、十月十八日、捷一号作戦発動。十一月にフィリピンルソン島に投入され、二月以降、尚武集団としてバレテ峠、サラクサク峠で退却の六月まで約百日間対峙し、食糧、弾薬の乏しい中、持久拘束戦を展開した。潰走状態で終戦を迎え、師団主力はルソン島ビナバガンで終戦。総員21727名のうちで生き残ったのは3001名のみであった。終戦後も武器弾薬の無い中、フィリピンゲリラとの戦闘で多数が戦死した。 

▽鳥取バレテ会の尽力で建立された戦歿者慰霊碑


↓週刊朝日 2016年2月12日号フォトギャラリー
フィリピン・ルソン島戦跡 激戦の名残、今も
▽姫路城


師団長官舎

▽カトリック淳心会本部となった長官官舎

モダンな洋風建築です。

旧第十師団兵器部西倉庫

師団の兵器庫や被服庫は、戦後市役所になりましたが、現在は美術館として利用されています。

▽姫路市立美術館
  

▽姫路城
 

▽姫路城内の「國土復興之祈願塔」


<<戦争体験者の証言(ネット上で公開されているもの)>>
【70年目の夏 大戦の記憶(3)】激戦のルソン島「なぜ自分が生き残ったのか」
落日のバレテ峠. 独立速射砲第十八大隊の最期. 三重県 藤森庄之助氏
死闘の「鉄」兵庫県 笹倉宏夫氏

参考文献
和田 昇『ルソン島・バレテ峠の真実――最も凄惨なフィリピン戦最後の戦場で起こったこと』文芸社、二〇一二年。


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