<<第十師団(鐵兵団)略歴>>
日露戦争では、明治三十七年四月十六日の動員下令以降、各地を転戦。第四軍隷下部隊として遼陽会戦・沙河会戦・奉天会戦等主要な戦いに参戦。奉天会戦では追撃戦で大戦果を挙げた。師団長の川村景明大将は鴨緑江軍司令官を歴任。明治三十九年一月三十一日復員下令、凱旋。
▽川村景明大将
▽散兵壕で休息する第十師団兵士(明治三十八年三月頃、奉天)
昭和七年、満州事変、昭和十二年支那事変と相次いで出兵。台児荘の戦い・徐州会戦・武漢攻略戦に参加。
昭和十五年、以後満州永久駐屯を命ぜられ、関東軍の直属兵団として、黒竜江省の佳木斯(ジャムス)市に駐屯。
昭和十九年二月から師団の一部が太平洋方面に抽出され、七月には師団主力も南方派遣が決定。八月、第十四方面軍隷下となり、十月十八日、捷一号作戦発動。十一月にフィリピンルソン島に投入され、二月以降、尚武集団としてバレテ峠、サラクサク峠で退却の六月まで約百日間対峙し、食糧、弾薬の乏しい中、持久拘束戦を展開した。潰走状態で終戦を迎え、師団主力はルソン島ビナバガンで終戦。総員21727名のうちで生き残ったのは3001名のみであった。終戦後も武器弾薬の無い中、フィリピンゲリラとの戦闘で多数が戦死した。
▽姫路城
師団長官舎
▽カトリック淳心会本部となった長官官舎
モダンな洋風建築です。
旧第十師団兵器部西倉庫
師団の兵器庫や被服庫は、戦後市役所になりましたが、現在は美術館として利用されています。
▽姫路市立美術館
▽姫路城
▽姫路城内の「國土復興之祈願塔」
<<戦争体験者の証言(ネット上で公開されているもの)>>
【70年目の夏 大戦の記憶(3)】激戦のルソン島「なぜ自分が生き残ったのか」
落日のバレテ峠. 独立速射砲第十八大隊の最期. 三重県 藤森庄之助氏
死闘の「鉄」兵庫県 笹倉宏夫氏
参考文献
和田 昇『ルソン島・バレテ峠の真実――最も凄惨なフィリピン戦最後の戦場で起こったこと』
文芸社、二〇一二年。