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京都大学戦争遺跡研究会(2017-)

 戦争遺跡研究会は、主に戦争の記憶を後世に継承するための活動に取り組んでいます。活動内容は、戦争体験者からの聞き取りや、「戦争遺跡」と呼ばれる明治~昭和までの戦争に関する遺構の調査研究などです。現在、各地の教育委員会や郷土史家、戦友会、有志の方々などのご協力を頂いて「戦争遺跡アーカイブ」を作成中です。本サイトでは我々の活動の一部を公開させて頂きます。ご質問ご意見はyuki0118(アットマーク)gmail.comまでお願いします。2016年以前の活動はこちら→http://senseki3.kyotolog.net/ ツイッター @sensenki3

伊賀上野航空基地

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伊賀上野航空基地

三重県伊賀市にはかつて海軍航空隊の基地が存在しました。
ここには通称号「雁」部隊が配されていました。雁部隊は一式陸上攻撃機を擁する夜間爆撃機の部隊でした。基地施設は戦後の開発で大半が破壊され、現在では土製掩体の一部が残るのみです。

▽昭和21年(1946)頃の伊賀上野基地(USA-M143-A-6-168: 1946/05/23(昭21))


▽駅の階段にいる忍者


▽立派な門柱をもつ伊賀上野中学校


▽伊賀上野城

この城の敷地には航空隊の壕が多数掘られていました。

▽城の斜面に残るコンクリート構造物
    

▽無蓋掩体
 



▽無蓋掩体2

こちらは前半分が削られています。



▽伊賀上野基地滑走路


▽とても広い緑ヶ丘中学校グラウンド

これも滑走路の一部です。ちょうどこのグランドが滑走路の横幅になるので、滑走路の横の広さが分かります。
伊賀上野駅駅前の喫茶店にて店主の方にお話を伺いました。それによれば、航空基地建設には多数の小学生や中学生が動員され、もっこやつるはしだけで飛行場を完成させたそうです。


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