伊勢志摩は鵜方にやって参りました。この地は豊かな漁場で育まれた海の幸(伊勢エビ、安乗ふぐ、的矢かき、宝彩エビなど)に恵まれ、風光明媚な景勝地は万葉の時代から貴族の詩にも登場する、由緒ある観光地です。 とはいえ、今回の目的地は家族連れで賑わうパルケ・エスパーニャや賢島のリゾート地ではなく、本土決戦に向けて構築された陣地群や海上特攻基地です。
ここではその一部を紹介します。
①叶小路トーチカ②島茶屋構造物③七尾田トーチカ④イコモトーチカ⑤東浦トーチカ⑥大加賀トーチカ
叶小路トーチカ
バス停「島茶屋」にて下車し、西の方に歩いていくと変電所があります。そこから南に向かって伸びる坂道を登っていくと、散兵壕や交通壕の跡が残っています。
▼「島茶屋」停留所前
▼変電所
▼Z型の壕
▼崩落した壕跡
道なりに進んでいくと、木造の小屋が立っています。そこから斜面の上方にトーチカがあります。
▼中央奥がトーチカです。
▼背面に回ります。
▼入口があります。
▼その向かい側に坑道式の交通壕があります。
▼しかしこれは5,6メートルほどで閉塞しています。完成途中で終戦になったようです。
▼銃眼です。射界は割と開けています。
▼手前の四角い溝は何でしょう。手榴弾避けでしょうか?
▼トーチカの手前の円形の窪地は観測壕でしょうか。ここからトーチカまで交通壕が伸びています。
▼トーチカ背面の交通壕
▼こちらはトーチカの手前にある大穴。これも遺構だと思います。
▼こちらもすぐに閉塞しています。トーチカまで繋ぐ予定だったようです。
▼きれいに残っています。
島茶屋構造物
島茶屋の交差点を西に渡り南に続く道を降りていくと、池があるのですが、その池のほとりに戦時中のものらしきコンクリートの小屋が立っています。その反対側にもコンクリの破片が散乱しています。
▼斜面に立っています。
▼上から見た様子です。
▼両側に開口部があります。
弾薬庫か資材庫として利用されていたのかもしれません。
▼この構造物の反対側にコンクリートの瓦礫が転がっています。
▼トーチカの破片ではないでしょうか。
国道の脇なので、国道の拡張工事の際に破壊されたのかもしれません。
この辺りです。
この辺りの山中には塹壕の跡が点在しています。ここいら一帯が要塞化していたようです。
七尾田トーチカ
「畔名口」停留所下車すぐの田んぼの中にトーチカがあります。土地所有者の方の許可を得て見学させて頂きました。
▼銃眼の二つあるトーチカ
▼内部にも銃眼があります。
▼七尾田高地にも塹壕跡が多数残っていたようですが、開発で消滅しています。
イコモトーチカ
立神集落の十字路を南に下っていくと、道路わきにトーチカがあります。こちらは道路工事で一部破壊されています。
▼半分になったトーチカ
▼人工的な切り通し
▼道路からみたトーチカ
東浦トーチカ
▼イコモ陣地から西の山の方に歩いていくと東浦陣地があります。
▼山の斜面には壕や掘り込みが多数存在します。
▼東浦トーチカ
このトーチカは壕の内側を向いています。恐らく背射を狙って据えられたものとおもいます。
日本軍らしいトーチカ陣地です。
▼交通壕もきれいに残っています。
▼銃眼から
▼完全に閉塞
大加賀トーチカ
畔名口交差点を東に進んで行き、
ここから北側に登っていくと大加賀トーチカがあります。
▼散兵壕が続いています。
▼蔦に覆われた構造物が見えます。
▼銃眼の二つある前方部
▼出入り口
2に続きます。