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京都大学戦争遺跡研究会(2017-)

 戦争遺跡研究会は、主に戦争の記憶を後世に継承するための活動に取り組んでいます。活動内容は、戦争体験者からの聞き取りや、「戦争遺跡」と呼ばれる明治~昭和までの戦争に関する遺構の調査研究などです。現在、各地の教育委員会や郷土史家、戦友会、有志の方々などのご協力を頂いて「戦争遺跡アーカイブ」を作成中です。本サイトでは我々の活動の一部を公開させて頂きます。ご質問ご意見はyuki0118(アットマーク)gmail.comまでお願いします。2016年以前の活動はこちら→http://senseki3.kyotolog.net/ ツイッター @sensenki3

体験者の証言(語り)の扱いについて

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コメント

1. 無題

えーと、体験談の証言の実証性を放棄して、それは研究と言えるんですか?

2. お返事

NONAMEさま、コメントありがとうございます。

まず、どこにも実証性を放棄するとは書いておりません。たしかに、歴史的事実よりも、その人がどのように感じたのかを重要視するとは言っていますが、それは「AよりBを重視する」という重点の置き方の違いであって、「Aを放棄する」という意味ではありません。
 その違いは、歴史的事実の補強の為に証言を使うか、もしくは個人の体験をより精確にする為に実証的事実を使うかという違いです。これはどちらかが正しいとか間違っているという問題ではなく、重点の置き方の違いです。
 また、我々は、実名で体験談を載せる場合は、必ず資料や記録を渉猟して証言と照らし合わせていますし、その人の軍歴なども参照し、また書いた原稿もその場で本人にチェックしてもらったり、ゲラ刷りを送って修正してもらってからブログや会報に掲載しています。そして、貴殿の言う「研究」がどういうものを指すのか知りませんが、ここでも断っているように、私たちが取り組んでいるは、その人がどう感じたのかということを再構成するための、極めて「文学的」なアプローチによる戦争体験談のアーカイブ化です。その人の体験した辛かったこと、苦しかったことなどの肉声は、統計的な資料や記録文書を読むだけでは明らかにできません。私たちは、そのような「肉声」を伝え、先の大戦が統計的に処理できない「人間」の戦争であったことを次世代にも伝えていくことを重視しています。これは「語り」とよばれる、体験者の主観的な感情や思考に焦点を当てる手法です。これはもちろん実証的な部分を放棄しているわけではありません。そして、実証的歴史研究のための資料としてではなく、一人の人間の体験談として読むようにということを戦争体験のページの冒頭ですでに断っています。
 歴史学的な実証的なアプローチだけが唯一の「研究」ではなく、様々なパースペクティヴから対象を捉え、対象の真の姿を明らかにするものが研究です。事実の集積だけでは、全体を包括するような視野は得られません。「戦争」というものを理解するうえで、「人間」という視点は不可欠でしょう。

 また、恐らく証言に対する批判的な視点が欠けているということをおっしゃりたいのでしょうが、我々のやっていることは、発信媒体を持たない戦争体験者の「代わりに」彼らの体験談を紹介する、もしくは、体験談を掲載する場を提供する、いわばスピーカーであり、発信媒体にすぎません。それを、神聖化とか垂れ流しだからやめろというのであれば、それはつまり彼らの口を塞げと言っていることになってしまいます。
 ですから、批判的な視点を持たねばならないのは、むしろ体験談を読む方だと思います。彼らが戦後70数年たって語っている言葉だということに留意すべきでしょうし、そのために、取材日や体験者の年齢を表記しています。既に述べたように、「戦争を体験した人が戦後数十年たってから語った話」として読んでもらえればと思います。

よろしくおねがいします。

ただいまコメントを受けつけておりません。

体験者の証言(語り)の扱いについて

体験者の証言についていくつかお問い合わせがありましたので、解答させて頂きます。

Q:戦争体験者の証言について、本人の許可をとって掲載しているのか。

A:当研究会は戦争遺跡の調査と並行して、戦争体験者からの聞き取りを行っています。ブログで公開している証言は、当事者の許可を得て掲載しているものです。特に氏名等を公開してもよいという許しを頂いた場合は氏名も併記しています。その他の場合は、「A氏」、「D氏」等の匿名標記を用いています。尚、ここで使用されているアルファベットは単なる識別用の記号であり、証言者の姓名とは一切関係ありません。許可を頂いていない証言については当然掲載しておりませんし、個人的な内容(例えば「〇〇部隊の××伍長が達の悪い奴で云々」など)や存命中の人物に関わる誹謗中傷などは公開しておりません。


Q:体験者の証言を事実考証なしに掲載して良いのか。誤った情報を流布していることにはならないのか。

A:当ブログでは聞き取った内容を掲載しておりますが、なるべく語った人間の言葉をそのまま掲載するようにしています。我々が聞き取りの際に最も重視していることは、「語った本人にとって、戦争がどのように体験されたのか」ということであり、これは歴史学的な客観的「証言」というよりはむしろ、文学的な主観的「語り」という方がふさわしいかもしれません。我々の主眼が、戦争遺跡の考古学的調査の他、効果的な平和教育の実施にあるということ、つまり実証的な研究による教科書的知識の詰め込みだけでなく、むしろ戦争を自己の問題として、自身と関連付けて考えられるような人間の育成を主眼としているので、戦争を(また平和を)学ぶ為には、そのような体験者個人の「語り」の総体を通して、個々の事実の集積を全体的に(直観的に)「戦争」という大きな枠組みで解釈する必要があるのです。
 また、証言と公文書における日付や人数などの細かい部分での違いは証言に註をつけて示してあります。

Q:証言者の性別を記載しないのは何か意図があるのか。

A:今後は性別に関しても明記するように致します。

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我々は歴史学の門外漢(理学、文学、総人などの学生など)ばかりですので、歴史学的な専門家の方からご指摘やご意見を頂けると大変ありがたいので、今後もご意見などお寄せいただけると幸いです。

今回お問い合わせ頂いたミシマ氏、FURUYA氏には、質問内容の掲載についても快諾頂き重ねて御礼申し上げます。

ブログで公開している内容について、もし不備があればお問い合わせください。
今後もご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。
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コメント

1. 無題

えーと、体験談の証言の実証性を放棄して、それは研究と言えるんですか?

2. お返事

NONAMEさま、コメントありがとうございます。

まず、どこにも実証性を放棄するとは書いておりません。たしかに、歴史的事実よりも、その人がどのように感じたのかを重要視するとは言っていますが、それは「AよりBを重視する」という重点の置き方の違いであって、「Aを放棄する」という意味ではありません。
 その違いは、歴史的事実の補強の為に証言を使うか、もしくは個人の体験をより精確にする為に実証的事実を使うかという違いです。これはどちらかが正しいとか間違っているという問題ではなく、重点の置き方の違いです。
 また、我々は、実名で体験談を載せる場合は、必ず資料や記録を渉猟して証言と照らし合わせていますし、その人の軍歴なども参照し、また書いた原稿もその場で本人にチェックしてもらったり、ゲラ刷りを送って修正してもらってからブログや会報に掲載しています。そして、貴殿の言う「研究」がどういうものを指すのか知りませんが、ここでも断っているように、私たちが取り組んでいるは、その人がどう感じたのかということを再構成するための、極めて「文学的」なアプローチによる戦争体験談のアーカイブ化です。その人の体験した辛かったこと、苦しかったことなどの肉声は、統計的な資料や記録文書を読むだけでは明らかにできません。私たちは、そのような「肉声」を伝え、先の大戦が統計的に処理できない「人間」の戦争であったことを次世代にも伝えていくことを重視しています。これは「語り」とよばれる、体験者の主観的な感情や思考に焦点を当てる手法です。これはもちろん実証的な部分を放棄しているわけではありません。そして、実証的歴史研究のための資料としてではなく、一人の人間の体験談として読むようにということを戦争体験のページの冒頭ですでに断っています。
 歴史学的な実証的なアプローチだけが唯一の「研究」ではなく、様々なパースペクティヴから対象を捉え、対象の真の姿を明らかにするものが研究です。事実の集積だけでは、全体を包括するような視野は得られません。「戦争」というものを理解するうえで、「人間」という視点は不可欠でしょう。

 また、恐らく証言に対する批判的な視点が欠けているということをおっしゃりたいのでしょうが、我々のやっていることは、発信媒体を持たない戦争体験者の「代わりに」彼らの体験談を紹介する、もしくは、体験談を掲載する場を提供する、いわばスピーカーであり、発信媒体にすぎません。それを、神聖化とか垂れ流しだからやめろというのであれば、それはつまり彼らの口を塞げと言っていることになってしまいます。
 ですから、批判的な視点を持たねばならないのは、むしろ体験談を読む方だと思います。彼らが戦後70数年たって語っている言葉だということに留意すべきでしょうし、そのために、取材日や体験者の年齢を表記しています。既に述べたように、「戦争を体験した人が戦後数十年たってから語った話」として読んでもらえればと思います。

よろしくおねがいします。

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三太郎
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