津軽海峡冬景色「ご覧あれが竜飛岬 北の外れと 見知らぬ人が 指をさす ♪」で有名な竜飛岬。津軽海峡防備のために昭和12年に砲台が築かれました。津軽要塞重砲兵聯隊は北部軍(昭和十九年より第五方面軍)の直轄部隊で、津軽海峡の防備を担っていました。竜飛崎砲台には十五センチ砲四門が配備されました。現在、砲や砲台跡は破壊されほとんど残っていません。観測所と第二砲座の一部、付属施設の一部が残るのみです。海軍の遺構としては監視所と無線通信所がありましたが、これも望楼以外の施設は残っておらず、望楼も埋没処分されています。
▼竜飛岬より函館方面を望む
▼竜飛岬の陸海軍遺構
青森駅は雪の中を出発し、津軽線を終点の三厩駅へ。
▼終点三厩駅からはバスで竜飛まで向かいます。
▼冬の竜飛岬
▼竜飛の集落
車道の部分は、青函トンネル工事で出た土砂で埋め立てられた箇所です。
▼奥の陸続きになっているのが帯島です。
▼帯島から竜飛岬を望む
▼懐かしい佐川のマーク
▼やばい
▼階段国道は閉鎖中でした。残念。
▼国道の途中に道路標識があります。
▼昭和7年に竣工した灯台
▼灯台の先にある海軍の望楼跡です。
これは天井部分です。哨所は撤去されたのではなく埋没処分にされたそうです。観光地化された際に素行の悪い連中がここで焚火をしたり、カップルが××したりしたそうで、子供らの教育上よろしくないということで、このような処置がなされました。
▼映画「海峡」のロケに利用された望楼内部
▼望楼及び無線通信所施設図
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05110166100、「極秘 明治37.8年海戦史 第8部 会計経理 巻6.7.8別冊」(防衛省防衛研究所)」
▼「津軽海峡冬景色」歌碑
▼駐車場から伸びている遊歩道です。ここを降りていきます。
▼斜面にコンクリート製の構造物があります。
▼井戸があります。
井戸がありますが、窓がありますし、監視所としても使われていたのでしょうか。
▼これは観測所跡です。
この観測所の下側に第一、第二砲座がありました。第二砲座のコンクリートの一部が残っています。合計4つの砲座が並んでいました。
第二砲座跡
▼「函館要塞重砲兵聯隊第二中隊」碑
昭和二年からは津軽要塞に改称されました。
▼北部第71部隊第二中隊第三砲座跡
▼竜も飛ぶほどの風が吹くということが「竜飛崎」の由来です。
もの凄い風で息ができません。屈んだままでないと歩けません。
北部七十一部隊とは、津軽要塞重砲兵聯隊の通称号「達」第七十一部隊のことです。
▼軍関係の標柱?三角点?
文字は読めません。
場所
▼かつての兵営跡は自衛隊施設になっています。
▼砲台建設に際しての陸軍による視察の様子
今でこそバスが岬の先端まで通っていますが、かつてはこのように岩に足場を組んで通行していました。
▼兵舎が移築され、転用された竜飛小・中学校校舎
▼観光案内所となった旧奥谷旅館
▼太宰治の逗留した部屋
▼太宰が燗をしていた火鉢と茶瓶
<<S氏の証言>> 昭和十年生まれ 龍飛国民学校 男性
戦時中には何にも食うモノがなくて困った。10人でコメ一升しかない。ほかに、大根の葉っぱ、わかめ、じゃがいも、かぼちゃ。10人の一年分がかぼちゃ百個、じゃがいも60キロ。十三湖まで買い付けに行ったことがある。龍飛には陸海軍の軍人が駐屯していて、海軍の監視哨関係の三十人ほどに加え、砲台の兵隊が今の自衛隊基地に兵舎をつくって大勢いた。父親は陸軍の施設で働いていた。砲台は二門ずつ、四門の砲が並んでいた。その間はトンネルでつながっていた。防空壕も各所にあり、木造のトンネルがあった。学校もいい加減で、先生が兵隊にいっていないので、代用教員の先生がきていたが、「みんな遊んでおればよい。」と、みんなで勉強せず外で遊んだ。
戦争も終わりのころ、三厩沖に停泊していた輸送船四隻をグラマンが機銃掃射したことがあった。代わるが代わる反復攻撃を加えていた。龍飛にも山の方から飛んできたが、こちらの砲台は高射砲ではないので一発も撃っていない。
戦後、進駐軍がボートでやってきて、大砲の砲身を1メートル焼き切って無力化した。進駐軍が30人ぐらいいたか。うちにも10人泊めたが、酒盛りして飯を食って帰った。その時、砂糖をもらった気がする。砲台施設の鉄筋などをとってくず鉄屋に売り払った。その際に大砲も売ってしまったようだ。おいておけばよかったのに、もったいないことをしたものだ。戦後に兵舎を校舎として移築して使用した。中学校1~3年生までこの校舎で勉強した。また、青函トンネルの建設がはじまり、村の若い衆などはこの工事で財産を増やし、家を建て直したりして、村の様子が変わった。この時の工事ででた土砂で埋め立てをして土地を広げた。放棄された砲台ではよくあそんだ。ハンドルを回して戦争ごっこをやった。面白かった。
ご協力いただきました皆様、誠にありがとうございました。